飲み会ではしゃいで部下の肩をバンバンたたいたり、武勇伝をいっぱい語ったりしたら、次の日は落ち込みすぎて消えたくなります。「ボクはそうは思いません」「私は別に堂薗さんみたいになりたいと思っていませんので」なんて面と向かって言われ、「そう。価値観はそれぞれだから」とその場では対応したときだって、「私の時代はそんなこと言わずに黙ってやったものよ! ……なーんて言えやしねぇな」と内心、苦笑いしているもうひとりの私がいます。
どうしてこれほど、「受け取り手」がどう思うかばかりを考えるようになったのでしょうか。もしかすると、私だけじゃなく多くの中年諸氏が、周囲とのコミュニケーションそのものを恐れ、無口になり始めているのではないか、と思えてくるのです。
一歩間違えれば「ハラスメント」「モンスター」「クレーマー」などと呼ばれるかもしれません。それなら黙っていたほうがリスクは小さい。自分が何にも代えがたい愛情をもっているわが子にさえ、言葉や接し方を間違えれば、将来、「毒母」と言われるかもしれないわけで、「母のせいでこんな私になりました」なんて言われたら、もう存在していられなくなるじゃないですか。
『「おっさんレンタル」日記』を読んで思うこと
今の世の中、たたかれるジャンルが全方位、かつ種々雑多になり、「あれをしちゃダメ」という「不正解」情報がいっぱいあふれています。大人になればなるほど、「ありのままの~、姿見せるのよ~」ってわけにはいかなくなる。昔は時に見かけた、がんがん怒鳴って灰皿を投げてくる上司だって、理不尽なことを言い張る近所のお母さんだって、お酒の席で乱れまくる輩だって、今はもうすっかり影を潜めていますものね。
年末に、昨今話題の書籍「『おっさんレンタル』日記」を読みました。46歳のファッションプロデューサーの方が始めたサービスで、1時間1000円で個人が彼をレンタルできる仕組み。年間に400件の依頼を受けて見知らぬ人と会いながら、彼が思ったこと、自分が人として成長したと感じるエピソードなどがとても率直に書いてある本でした。
ややネタバレになってしまうかもですが、大学生を思わずしかってしまう話、うなってしまいました。大人に面と向かってしかられたり否定されたことのない若者は、実は大人にちゃんと向かい合ってもらいたいのかもしれないと考えさせられました。
そういえば、講演やワークショップなどで私の話を聴いて、メールや手紙をくれたり声をかけてくれる若い人たちがいるのですが、彼ら彼女らは、「もっと鍛えられたい」と言うことが多くて驚きます。もっといろいろな人のいろいろな経験を知りたい、もっと大人に教えてほしいことがある、と言うのです。もちろん、講演などに参加する人たちなので、基本的に前向きだということもあるでしょう。でも実はこういう本音を持っている若手は、私たち中年が思っているよりたくさんいるのかもしれません。
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