確かに、受け取り手にとっての本物の「不正解」な行動をしてしまったら終わりだけれど、私は「不正解」の手前に、「うざったい」っていうラインがぼんやり見えるような気がするのです。「不正解」にびびるあまり、「うざったい」ラインにさえ届かないとしたら、そのコミュニケーションは何かを生み出すのでしょうか。
私たち大人は、自分を形づくった経験を、頑張ってどんどん語ってみてもいいのではないか。自分が愛情を持っている人たちに何も伝えず、「嫌われていない」というポジションだけ得ても、つまらないじゃないか。私たち中年の知見を待っている若手だっているのかもしれない。そんなふうに考えて、「うざったい」大人になってみる。そうすることで、この寒々とした世代間ギャップやコミュニケーションギャップも、少しずつ埋まっていくように思えるのです。
私のところへメールをくださった方たちのすばらしい経験や知見、思いは、きっと若手の役に立つはずなのになぁ。私たち大人がびびらずにコミュニケーションすることで、何かが開けるんじゃないか、そんなことを思います。これはこの連載で1年、びびりながら意見を発信する経験ができたからこそ、得られた考えなのかもしれません。少しオトナになった気がします(笑)。
びびらないオヤジが、ちょっとうらやましい
……と長々、思いに任せて書いてしまいました。今年の私の意気込み表明になってしまいましたが、今年も多くの「キャリア女」のお悩み、自分の経験を思いっきり開示しながら考えていきたいと、気持ちを新たにしています。どうでしょう、みなさんも一緒にばーんと自己開示、していきません?(笑)。
余談ですが、先日、娘の個人面談に、ダンナを送り込んでみました。個人面談に父親が行くパターンは少ないので、先生はきっとすごく緊張したと思います。「たまには行ってきてよね」の一言で送り込んだのですが、実は私が行ったら余計なことを言いそうで怖かったので、押し付けたわけです。
25歳も年の離れたダンナと担任の先生。少し意地悪な気持ちで、帰宅したダンナに様子を聞いてみたら、「先生はどうして教師になろうと思ったんですか?」などと逆面談して軽く説教までしてきちゃった、とニコニコ笑っているのです。これは完全に「うざったい」ラインです。でも「モンスターな親」とは、思われはしなかったようです。いいなぁ、びびらないオヤジ。あきれる気持ちと同時に、ちょっとうらやましくもありました。
学校はちょっと敷居が高いけど、せめて子どもたちと接するときや、若者と話すとき、特にこの連載のご相談には、びびりすぎずに(ご機嫌な)うざったいおばさんを目指してみようと思った出来事でした。愛さえ持っていれば、きっと「不正解」にはならないはずだと信じたい!
ではでは、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます!
※堂薗姐さんへのお悩み相談はこちらのアドレス(onna-sodan@toyokeizai.co.jp)まで
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら