「フードロスゼロ」とことんやれば食費ゼロに? 東京の片隅で展開される「完全なる循環型社会」

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例えば、冬にでっかい見事な葉っぱ付き大根を1個(150円程度)を買えば、それを1人で、隅から隅まで、皮も葉っぱも何もかも食べ尽くそうと思ったら壮大なプロジェクト以外の何物でもない。

千切りにして味噌汁の具に、がんもを焼いて大根おろしをたっぷり、葉っぱを炒めてご飯の供に、ちょっと厚く切ってお揚げと一緒に醤油煮、炒めてきんぴら、お手軽に納豆に大根おろし、そして定番ぬか漬け、あるいは切り干し大根にして酢に浸しハリハリ漬け……なーんてことをせっせとやってたら、1週間は他の野菜はほぼ何も買わずとも余裕でやっていける。1日あたり20円程度。あとは豆腐か油揚げなど買うだけでおかずの心配なし。

ここまで長持ちするのは、皮も葉っぱも何もかも食べているせいでもあると思う。なぜなら、そのような「みんなが捨てるところ」というのは実に食べ応えがあるのだ。

要するにハッキリ言って固い。となれば、やたらともぐもぐ噛むことになる。人とは不思議なもので、ずっと一生懸命噛んでいると、それだけでゲフッとお腹がいっぱいになってくる。すなわちそんなにたくさんは食べられない。また聞くところによれば皮などは栄養価がめちゃくちゃ高いらしいので、食べ応えがあるのはそのせいかもしれないとも思う。

いずれにせよ、大根1本を最後まで食べきるのは、これで1週間は「余裕」というよりも、心底必死にならねば最後までたどり着けないと言ったほうがいいような気もする。白菜もキャベツも人参もごぼうも同様。ことほど左様に、「食べきる」とは、まったく容易ならぬ大事業なのである。

フードロスをなくせば、お金の心配もしなくていい

そんな暮らしを始めてみて、私は、生きることとお金の関係がよくわからなくなってきた。

生きることは大変だと誰もが言う。なぜって、生きるためには金を稼がなきゃどうにもなんないから。でも生きるとは、究極のところ「食っていく」ということだろう。食っていくことは、それほどお金がかかることなのだろうか。

最近よく思うのは、私、いざという時には本気になればほぼタダで食っていけるかもってことだ。

例えば、近所のスーパーのキャベツ売り場の横にあるコンテナは、多くの人が捨てていった、一番外側のデッカい葉でいつも山盛りである。私、この葉っぱを店の人にお願いして1枚いただくことができれば、最低2日は野菜に困らないと思う。

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