だってこんな生活、きっと今どきの日本国民のほとんどがやったことも見たこともないはずで、しかし何事も目標を達成しようと思えばその「最終ゴール」を具体的にイメージできなければ始まらない。そう考えれば、まずはその先に何が待っているのかをリアルにお示しすることが先決であろう。
ってことことで、わがフードロスゼロ生活をざっとご紹介したい。
野菜のヘタも皮も芯も食べ尽くす
まずお断りしておきたいのは、私の「フードロス」ゼロ生活は、世間一般で定義されている「フードロス」のない生活とは、そもそも定義がまったく異なるということである。もっとはっきり(偉そうに)言わせていただければ「次元が違う」のだ。
まず、一般的に「フードロス」とは「まだ食べられるものを捨てること」を指すのだという。じゃあ腐ったものを捨てるのはどーなんスかね? ここのところがよくわからない。いずれにせよ、食べられるものを買ってきて、それを家で腐らせてから捨てるのと、腐らせないうちに捨てるのとでは、その罪深さは同じことであろう。
なのでわが家では、もう食べられなくなった腐ったものを捨てることも「フードロス」とみなしている。つまりはですね、わが家で繰り広げられているフードロスゼロ生活とはすなわち、腐った腐ってないにかかわらず、食べ物を一切捨てることのない生活のことを指す。
と言うてももちろん、さすがの私も腐ったものを食べるわけではない。ってことはすなわち、私はこの7年というもの、わが家で食べ物を腐らせたことは一度もないのである!(パチパチパチ)
まだある。
例えば野菜のヘタとか皮とか魚の骨のような「食べられない」ものは、やはり一般的定義では、たとえ捨てたとて「フードロス」とは言わないそうだ。さすがにこれは私も理解できる。もともと食べられないものを捨てるのは、当たり前というか、仕方のないこと……って言うと思うでしょ?
甘い甘い。わが家ではこの、この「仕方がない」ことにまで鋭く切り込みまくっているのだ。すなわち野菜のヘタや皮、芯、種などは、生命の危険がない限りはすべてバリバリと食べてしまう。
野菜も果物も皮などほぼむいたことがないし、芯も何もかも丸ごと食べる。ゆえにリンゴなんぞ枝のところしか残らないもんね。みかんも桃もキウイも皮ごと食べる。里芋の皮だって食べますよ。さらにかぼちゃやピーマンやゴーヤの種も綿も食べる。
無論キャベツの芯も白菜の芯も食べるし、ネギの根っこも食べる。玉ねぎの皮はさすがに硬くて食べられないが、湯で煮出してお茶にして飲む――まったく我ながらピラニアのようである。
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