「フードロスゼロ」とことんやれば食費ゼロに? 東京の片隅で展開される「完全なる循環型社会」

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味噌汁の具に、味噌で炒めて、出汁味で煮込んで、ぬか漬にして……考えただけでゲフッとお腹いっぱい。何しろ先ほども書いたが、みんなが捨てる外側の葉っぱは固いので食べ応えがあるのだ。

え、そんなところは美味しくないんじゃないかって? いやいやそれを美味しくするのが料理というものであろう。固いものほどじっくり火を入れると柔らかく甘くなるものだ……なんてことを考えているとムクムクとアイデアが湧いてきて、それはそれでまた別の楽しみとなる。

つまりは何を言いたいのかと言いますと、多くの人がなぜフードロスをなくすことができないのかって大問題はさておき、もし本当にフードロスをなくすことができれば、誰でもそれだけで、ほんのわずかなお金で十分「食っていける」ということだ。人生の心配の実に多くの部分を占める「金の心配」から、相当部分解放されるということだ。

食べ物が混じった水も無駄にしない

ちなみに私、ここまで極めただけではまだ飽き足らず、最近事態はさらにエスカレートしておりまして、ご飯を炊いた鍋にこびりついた飯粒、あるいは炒め物をしたフライパンに残った油なども「食べ物」とみなし、水を入れヘラなどでこそげ落としまして、その水を使って味噌汁や鍋などを作っております。だって考えてみたら、食べ物が混じった水を「排水」としてゴミにすることも“立派な”フードロスなんじゃないでしょうか?

実は、この試みには「先輩」がおりまして、それは、天然の湧水を生活水として利用している滋賀県のとある地区で見たコイであります。

この地区ではどの家庭でも鍋釜などを洗った水を一旦水槽にためておき、そこでコイを飼っておられる。そのコイが洗い水に混じった食べ物のカスをせっせと余すところなく食べつくしてくれるので、綺麗になった水を下流の家の人が使うことができるというすごいシステムを長年守っておられるのだが、私が超刮目したのは、ここで飼われているコイがどれもこれも、シーラカンスかと思うほど巨大に丸々と太っていたことであった。

彼らは鍋釜にこびりついた「汚れ」だけで、立派に生きているどころか、むしろ食べすぎくらいの栄養を得ていたのである。

ってことはですよ、人間だっていざとなればそんなふうに生き永らえることも可能なんじゃないの?

ってことで、今日も飯を炊いた鍋にくっついた米がたくさん混じった味噌汁を食べている。確かにめちゃくちゃボリューミーである。

「食べてく」=「生きてく」ってことは、まだまだ未知の可能性に満ちているんじゃないかと思う今日この頃である。

稲垣 えみ子 フリーランサー

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いながき えみこ / Emiko Inagaki

1965年生まれ。一橋大を卒業後、朝日新聞社に入社し、大阪社会部、週刊朝日編集部などを経て論説委員、編集委員をつとめる。東日本大震災を機に始めた超節電生活などを綴ったアフロヘアーの写真入りコラムが注目を集め、「報道ステーション」「情熱大陸」などのテレビ番組に出演するが、2016年に50歳で退社。以後は築50年のワンルームマンションで、夫なし・冷蔵庫なし・定職なしの「楽しく閉じていく人生」を追求中。著書に『魂の退社』『人生はどこでもドア』(以上、東洋経済新報社)「もうレシピ本はいらない」(マガジンハウス)など。

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