こうなると、野菜で捨てるところといえば、おがくずのついたエノキの根っこと椎茸の石突き、出がらしの「番茶」の茎の部分くらいだ(ちなみに柔らかい茶葉は醤油や鰹節など振りかけてご飯のお供に食べる)。
あと魚や肉の骨、貝殻なども食べませんけれど、そもそもこのトシになれば家で肉魚を食べることは滅多にないので、結局、わが家では食べ物に関して「捨てる」ところははほぼゼロということになる。
まだある。
先ほどエノキの根っこなどは「捨てる」と書きましたが、実際にはゴミ箱に入れるわけではない。わが家では生ゴミはベランダで土嚢袋を使って堆肥にしているので、わずかに発生する食べられないものも、1年後には立派な土として再生させておりまして、その土でささやかに野菜を育てて喜んで食べている。
つまりは、エノキの根っことて「ゴミ」などではなく、新たな食料を生み出すエネルギーとなっているのだ。このように、完全なる循環型社会が東京の片隅で展開されているのである。
さらにさらに、それだけではない。
私が日頃の食生活で常用しているのは「おから」「米ぬか」「酒粕」である。どれも日々の料理に、漬物に、堆肥の栄養にと欠かせぬ貴重な資源だが、これはどれも食品を生み出す過程で出る産業廃棄物として捨てられる運命のものばかり。
それを日々活用しているわけだから、私はわが家の食品ロスがゼロというだけではなく、世の中の食品ロス削減にも日々貢献しているのである。
そうここまでやって初めて、わが「フードロスゼロ」生活は完成するのであります!
……ここまでくると、だんだん誰もついてこれなくなってフト振り返れば誰もついてきてない気がしますが、めげずにどんどん書く。つまりは私は、この平和で豊かな(今は)日本において、いわば戦時下の食糧難の時代のように、目につく「食べられそうなもの」は一切無駄にすることなくとことん食べつくす食生活をしているわけです。
節約も我慢もなしで食費が限りなくゼロに近づく
こんなことをしていると何が起きるのか?
たちまち、どうやっても食費が限りなくゼロに近づいていくのであった。
節約したり我慢などしているわけではまったくない。普通に食べたいものを食べて、それでもどうしたって結果、そうなってしまうのである。
そのくらい、何かを最後までとことん「食べきる」というのは、いざやってみれば本当に大変なことなのだ……ということを、私はこのフードロスゼロ生活で思い知った。
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