箱根を制した青山学院・原監督の「仕事語録」 「僕は陸上の人というより、ビジネスマン」

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箱根駅伝出場校の指揮官の中で、唯一、箱根駅伝と無縁の学生生活を送ってきたのが原監督だ。大学は中京大で、3年時には日本インカレ5000mで3位に入っている。卒業後は中国電力に陸上部1期生として入社した。1年目に右足首を捻挫して、実業団選手を5年で卒業すると、その後10年間は中国電力のサラリーマンとして過ごした。

山口県徳山市(現周南市)の営業所時代には、省エネ空調設備「エコアイス」を社内で1番の売り上げを記録すると、住宅関係の新事業でもメキメキと実績を上げた。20人ほどのサービスセンターへの左遷も経験したが、そこから本社勤務に返り咲き、「伝説の営業マン」と呼ばれた。そして、青山学院大の監督に就任すると、ビジネスマンとしての経験を学生スポーツに生かした。

「サラリーマン時代、ひとつの目標に向かってどう取り組んでいくのか、鍛えられました。陸上の指導も、ビジネスに当てはめただけですよ。中身が違えども、やり方は共通する部分があると思います。人として、男として、自立させる。それが私の指導理念です。チームの目標だけではなく、個人の目標も立てて、その両方の目標に向かって自身の力で走らせていく。

監督がいるからやるというチームにはしたくない。少しずつ積み上げることができれば、当たり前ですけど、1年ごとにベースアップします。青山学院大陸上部に入部すれば、ほぼ全員が自己ベストを更新できる。その集大成が箱根駅伝の優勝につながると思っていました」

初年度からビジネスマン時代の習慣だった「目標管理シート」を取り入れた。1年間の目標はもちろん、1カ月ごとの目標、それから週の目標などをA4用紙に書き込み、6人ほどのグループミーティングで進捗状況などをチェックするのだ。どんな小さな大会でも、必ずそのときの状態に応じて目標を設定させて、その到達度も確認させた。日頃から目標を明確化することで、「管理の徹底」を積み重ねてきた。

「自分自身で目標を決めて、その具体的な事例を自分の言葉で書き込む。そうすることが『自立』につながっていきます。今できることの半歩先を見つめながら、少しずつ向上していくだけでも、4年間でものすごい成長があるはずなのです」

言い訳はしないが、交渉はする

就任から数年間は専用グラウンドもなく、強化費も現在の3分の1程度だったという。それでも、元・伝説の営業マンは弱音を吐かなかった。

「グラウンドがないから箱根駅伝に出られない。おカネがないから箱根駅伝に出られない。そういうことはいっさい言いませんでした。限られた環境の中でも、できることを探して取り組むことが大切です。ただ、『強くなるためには、○○が必要です』という言い方をして、大学側と交渉はしてきました」

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