中村:生命誌は、生きものの歴史を知るという意味です。学校で習う歴史の「史」は、戦争などの事件や、信長や秀吉など偉い人の人物伝です。でも「バクテリアも蝶もみんないて初めて生き物の世界ができるのだから、どれもこれもみんな歴史を持っている。その物語を読みたい」と私は思っているので、博物誌や風土誌の「誌」かなと思ったんです。
山折:英語にするときはなんと訳しますか。
中村:バイオヒストリーです。英語のヒストリーには物語という感覚がありますね。日本語の「史」には、それが欠ける気がして。
山折:心理学でも河合隼雄さんなんかは、人間および人間の歴史を知るためには物語が必要だとおっしゃっていた。中村先生も生命の物語を紡ごうとなさっているのですね。
中村:生命の歴史物語は、38億年もあるものですから大変ですけど(笑)。
生命のことは、どこまでわかったのか
山折:われわれには、生命とは授かったものであるとか、よくわからない神秘の世界に包まれたものだという感覚があります。それに対してこの生命誌研究では、一応起源があって、何十何億年という歴史があって、今日がある。時間系列で整理できるという段階に至っていますね。
さらに細胞やDNAという構造的な世界がどんどん明らかにされてきた。そうすると生命起源以来の歴史と構造の状況を重ね合わせることによって、生命はわかるという時代が来たわけですか。
中村:確かに毎日研究していると必ず新しいことがわかります。しかしそのときの「わかる」は、向こう側にもっと大きな「わからない」をつくる「わかる」なんです。本当に科学ってわかればわかるほど、わからないことが増えるんです。
科学者は「これで全部わかったから終わり」というものは面白がらない。「ここからこんな面白いことが考えられる」という展開がいちばん魅力的です。世の中では、科学はすべてを理解し、答えるものと思われていますけれど、そうではない。答えのない、いつもなぜ、なぜ、なぜと問うているのが科学であって、それがなくなったら科学は終わります。生き物研究は、進めば進むほど新しいわからないことが出てくる。だから面白いのです。
山折:おそらく「わかる」ということと、「納得する」ということとは違いますよね。
中村:違います、違います。
山折:納得するというのは、五臓六腑にしみ込むような形で「わかる」ということですよね。知的に「わかる」というのは、関係性が「わかる」、因果が「わかる」というだけの話であって、体全体で納得しているわけではない。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら