なだ万、アサヒビールとの浅からぬ”縁” 日本料理の老舗は大企業に身を寄せた(上)

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なだ万のメインバンクは三井住友銀行だが、これはなだ万が住友家と関係が深く、住友家が出入りする料亭として接待や仕出しなどにも頻繁に利用されていたことが背景にある。住友家15代当主として、住友銀行を創設するなど事業拡大を進めた住友友純の正伝『住友春翠』(1955年刊)をめくると、「灘萬に招いて送別の宴を張った」などと、「灘萬」という言葉が随所に出てくる。

住友グループとの太いつながりは、大阪今橋の本店閉鎖を決めた際にも見て取れる。『“なにわの情緒”また消える』と題して書かれた、昭和49年6月18日付のサンケイ新聞の記事には、住友銀行の堀田庄三会長が「住友家とは縁も深く、住友グループの一員としてなだ万の世話を見てきた。大事な会合にはよく使い、長年なじんできた老舗だけに、その閉店はひとしお寂しい」と、東京への移転を惜しんでいる。

アサヒ会長は「名コンビ」と評価

住友銀行の副頭取を経て1986年にアサヒビール社長に就いた樋口廣太郎もまた、接点の持ち主だった。1998年8月20日付けの日経流通新聞に掲載された楠本正幸会長(当時。現在は社長)の人物記事によれば、樋口(当時、アサヒビール会長)は堀田庄三頭取の秘書役だった頃から、なだ万の五代目女将である楠本純子と付き合いがあったという。

堀田の秘書役に就いたのは1965年だから、樋口となだ万の関係はそうとう古い。記事中で、正幸と妻で女将の祐子について、「名コンビだ」と樋口は述べている。正幸がなだ万社長に就いたのは1989年。新たな役員体制で、純子の娘で正幸の妻である祐子は専務取締役に就任し、六代目女将となった。そこから10年近く、なだ万を引っ張ってきた2人を見て、樋口は名コンビと言ったのだろう。

”つかず離れず”で来たようにも見える老舗企業と大企業。なだ万は9割の店舗でアサヒビールを扱っており、商取引ではすでに密接な関係を築いている。 創業家が株式譲渡を決めた理由は不明だが、売却先は自ずからアサヒビールに絞り込まれたのかもしれない。(=一部敬称略=)

日本料理の老舗は大企業に身を寄せた(中)は1月13日掲載予定です

井下 健悟 東洋経済 記者

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いのした けんご / Kengo Inoshita

食品、自動車、通信、電力、金融業界の業界担当、東洋経済オンライン編集部、週刊東洋経済編集部などを経て、2023年4月より東洋経済オンライン編集長。

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