年末年始は、誰にも会わないに限ります 哲学者に「今年もあっという間」は禁句?

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最後に、もう15年も前になりますが、2000年を迎えたときの騒ぎについて、ある雑誌から依頼されて書いた雑文「ミレニアム騒ぎの虚しさ」を、拙著『生きにくい...』(角川文庫)に収めたのですが、それをさらにここに転載します。

 最近、身体の底まで虚しかったこと、それは2000年を迎えたミレニアムに歓声を上げる人間たちの姿であった。嬉々とした顔々、欣喜雀躍とした挙動、さらにそれを解説するレポーターたちの興奮した声々。次のミレニアムには、いま喜びに浸っている人々はひとり残らず地上から消滅してしまっているのだ。そのことをチラリとでも考えれば背筋が寒くなるはずであるのに、このから騒ぎはいったいどうしたことであろうか。
 ひとえに、ごまかしているからなのだ。みずからの存在の虚しさを見ようとしないからなのだ。しかも、そこに「希望」といううさんくさい言葉を掲げて、自己催眠をかけているからなのだ。
 ミレニアムとは、人生の儚さをまともに実感させられる時である。いかなる理屈をつけようと、あと数十年で自分はこの宇宙から跡形もなく消えてしまう。そして、その後(たぶん)永遠に生き返ることはない。やがて、人類は滅亡し、太陽系は砕け散り・・・・その後宇宙はいつまでもいつまでも存続しつづける。
 とすると、この自分が生きていることに、一体何の意味があるのか。日ごろごまかし続けて生きている人々も、まさにこの年末に「1000年」という残酷な時間単位を見せつけられて、こうした疑惑が一瞬心の底で閃くのを看取したはずであろう。だが、たちまち忘れてしまう。いや、忘れようと意志してしまう。
 花火が上がる。爆竹が鳴り響く。豪華絢爛な光の渦が空に舞う。人々は歓喜に頬を紅潮させて、1000年に一度の祭典に見入っている。誰もほんとうのことを考えようとしない。誰も真剣に感じようとしない。みんな、この絶望するしかないほどの残酷な事実を眼の前に突きつけられてもなお、それを必死な思いで振り払って微笑みつづけようとする。どこまでもいつまでも、嬉々として手を振る人々だけが見え、ワーッという歓声だけが聞こえる・・・・。
 じつに、じつに哀しい光景であった。

 

もっとも、(おわかりのように)このときから15年経って、いまや私は「未来はない」と確信しているので、ややこうした祭典に対する虚しさは減少しましたが(「虚しい」というより、バカげているというふうに変わってきたのかな)。

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