「パリでナンバーワンのテーラーであるスマルトでは、全ての職人が『自分が一番になってやる』という思いで働いているので、ジェラシーがすごいし、いじめもある。だから常に自分を強く見せなきゃいけないし、戦わなきゃいけないから苦しかった。本当に頭を抱えるような嫌な生活でした」
鈴木が辞めれば誰かがその後釜に就くことになる。だから、鈴木が職人たちとの距離を縮めようとフレンドリーに振る舞っても、効果はなかった。次第に、感情を押し殺して仕事をするようになったが、鬱状態になるのにそう時間はかからなかった。
想像を超える逆風の中で鈴木を支えていたのは、存在価値のある美しい服を作るために腕を上げたいという想いと、一代にして「フランチェスコ スマルト」を築き上げた伝説的創業者スマルト氏の存在だった。すでに現場から退いていたスマルト氏だが、時折、アトリエに顔を出すと鈴木に言葉をかけた。シャープペンを手に取り、自らパターン用紙に線を引いて手本を見せることもあった。スマルト氏との交流は、鈴木にとって、つかの間の「幸せな時間だった」という。
「フランチェスコ スマルト」での仕事は鈴木を追い詰めたが、いっさいの妥協もミスも許されない環境によって、技術力は鍛え上げられた。同時にパリはもちろん、日本でも「鈴木健次郎」という名前が知られるようになり、念願の独立に向けて追い風を感じた鈴木は、4年半勤めた「フランチェスコ スマルト」のチーフカッターという地位を手放す決断をする。
2011年4月、この時はまだアトリエを借りる余裕はなかったが、鈴木は自身のブランド「KENJIRO SUZUKI sur mesure PARIS」を立ち上げて勝負に出た――。
手間のかかる手縫いにこだわる理由
それから3年8カ月、鈴木は今、朝から晩まで働き、休日は数カ月に1日取れるか、取れないかという日々を送る。忙しくも充実した日々の中で、鈴木は自ら「古臭いやり方」と評するスーツ作りを評価してくれる人が増えていることに手応えを感じているという。
「僕が手で縫うのは全体の75~80%ですが、スマルトはもちろん、ほかのほとんどのテーラーはミシンを使う割合がもっと多くて、今の時代に僕と同じくらい手で縫っているメゾンはかなり珍しいと思います。でも、手縫いだからこそ表現の幅が広がり、お客様の要望に応えることができるのです」
世界中のメゾンがミシンを使うのは、それが効率的だからだ。しかし鈴木に合理化、効率化という考えはない。常に意識しているのは、手縫いでの表現力をいかに高めるか。
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