鈴木がいう「表現」とは、デザインの目新しさとは違う。たとえば、スーツの肩口を縫うときに使う「ゆき綿」という一枚の布は、何種類か市販されている。だから大半のテーラーはそれを買って使うのだが、鈴木は自作する。自分で作るからこそ、もし顧客から肩口を「いつもよりしっかり作ってほしい」という依頼があった時に改良できるからだ。顧客の希望に応え続けた結果、今では肩周りだけでも6、7種類の表現ができるようになったという。
鈴木は、このような細部にいたる表現の積み重ねがスーツ全体の美しさにつながると信じている。この圧倒的な繊細さに価値を認める人の数は少しずつ、しかし確実に増えている。鈴木が展開しているスーツは最も安くて一着60万円、高いものは100万円を超えるが、去年から注文が4倍に増えた。
若かりし頃の鈴木にとって大きな壁だった「どうしても表現できない残りの1割」はいつしか乗り越え、「今は、これ以上美しいものはないというものが作れている」と語る。
しかし、美しさの追及に終わりはない。鈴木に今の課題は? と問うと「もっと表現力を高めたい」という答えが返ってきた。
「フランス語で僕らのような手仕事をする人が使うsavoir faireという言葉があります。savoirは知識、faireは作るという意味で、作ることの知識や経験ということなのですが、日本語に同じ表現はありません。僕の技術、美意識、何を良しとするかといった価値観など人生で得たことのすべてが含まれ、それがその人じゃなくてはできない表現につながります。だからこそ選ばれる存在になることができるので、これからも感性や美意識を磨いて、もっと自分を高めたいですね」
「欧州で三本の指に入るテーラー」を目指して
自分が歩む道に間違いはない。このまま突き進めば、もっと美しいものを作ることができる。そう確信した鈴木には、新しい目標ができた。
「2020年までに欧州で3本の指に入るテーラーになる」
無謀だと思う人もいるだろうが、鈴木に気負いはない。
「僕は以前とてもアグレッシブで、ロンドンのアンダーソン・シェパードやミラノのカラチェリより美しいモノを作りたい、という自己評価で三番手に入りたいと思っていました。でも、お客さんが来て、何回もフィッティングをして、3カ月かけて作ったスーツを『最高だ』と評価してもらうというやり取りを繰り返しているうちに、そういう対抗心はなくなりました。他者と比べなくなったんです。今は誰かと勝負するのではなくて、『あのテーラーに行ってみなよ、すごいから』というお客様の評価で3本の指に入りたいですね」。
日本ではテレビ、新聞、雑誌、ウェブと様々な媒体に取り上げられている鈴木だが、フランスでは特にメディアに露出していない。それでも、フランス国内外で顧客が増え続けているのは理由がある。鈴木も最近知ったそうだが、スーツにこだわりを持つ人たちが鈴木についてコメントを寄せ合っている海外の掲示板があり、実際に注文した人たちの「彼のスーツは魅力的だ」「彼の作るものはすばらしく美しい」「彼は自分のスタイルを築いている」といった称賛の声を見て鈴木のもとを訪ねてくるのだ。特にイギリス人が多いそうで、伝統的なテーラーが軒を連ねるロンドンのサヴィルロウにある老舗で長年スーツを作っていた人が注文しに来たこともあるという。
鈴木のスーツは、顧客の心を沸き立たせる。国境を越えて伝播するその熱が生み出す上昇気流に乗って、鈴木は欧州の頂きに挑む。
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