アラサーのための戦略的「人生相談」--会社を辞めるかどうか、悩んでいます
「これは違うな」と思って、そろそろ辞めようかと考えていたら、「君、サッカーに詳しいらしいから、トヨタカップを担当して」と言われたんです。それで、面白そうだから、もう1年ぐらいは会社にいようと考え直しました。その次に命じられたのが、メキシコ出張。1986年のメキシコW杯に電通がかかわることになり、その担当者の一人に選ばれたんです。
後から考えると、これが人生の転機だったかもしれない。でも、そんなことを考えてサッカーをしていたわけではないし、広告代理店でサッカーの仕事ができるなんて、考えてもみなかった。しかし、電通はちょうど僕が入社した80年代にサッカーや五輪など、スポーツ事業に積極的に投資し始めたんです。これは偶然以外の何ものでもない。
その後も、マンハッタンマラソン、1990年のイタリアW杯、1994年のアメリカW杯、全英オープンテニスと、次々と面白いプロジェクトを任されて、会社を辞めるタイミングを失ってしまった(笑)。
次の転機は、Wカップの日本招致にかかわり、それが日韓の共同開催に決まったことです。96年のことでした。当初は日本の単独開催だったはずが、最後の最後でルールが変わり、共同開催になった。その判定が許せなかった。「こんなやり方をするような業界にいてはいけない。二度とスポーツビジネスの仕事にかかわるのはやめよう」と思いました。
それまで、ほぼスポーツの仕事しかしてこなかったから、次の食い扶持を探さないといけなかった。結論は、「環境ビジネス」。環境問題に携わるビジネスは、「社会の役に立つ」ことになるし、これからは絶対に食っていけると思った。
1998年ごろに、電通で社内申請をして、ワシントンに行くことになったんです。コンサベーション・インターナショナルという有名なNGOにインターンで入って、環境政策について実地に学ぶことにした。