創業1444年!世界最古の企業「金剛組」長寿の秘密 「潰せば大阪の恥」とまで言われる技術力

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明治維新後は、他の多くの宮大工家が西洋建築に乗り出し、政府や軍隊の工事を受注して成長していった。一方、金剛組は扶持米の給付は得られなくなったものの、四天王寺を中心とした寺社からの仕事を受注することで経営を維持していた。工事のエリアも大阪にとどまっていた。

一族を悲劇から救った稀代の女棟梁

神仏分離令による混乱が落ち着きつつあった金剛組を昭和恐慌が襲う。1929(昭和4)年の米国株式暴落は、当時の日本経済にも深刻な影響を与えたのだ。当時の当主は第37代・金剛治一。弱冠21歳にして正大工職を拝命するほど高い技術を持ち、当時の大阪で名棟梁として名を知られる存在だったという。

しかし、治一は無類の職人気質で、今でいうところの営業活動などさらさら念頭になく、自分が納得できる仕事しか請け負わなかった。仕事があるうちはそれでもよかったのだが、昭和恐慌が始まると状況は悪化。仕事の依頼は急減した。こうした状況になっても職人気質で勝ち気な性格の治一は、頭を下げて営業をすることができない。寺や神社を回って修繕すべき場所を見つけたり、「大きな仕事があったらやらせてください」と声をかけたりする程度のことは治一以前の当主でもやっていたが、治一にはできなかった。

経営は悪化の一途をたどり、1932(昭和7)年に悲劇は起きた。治一は経営不振の責任をとって四天王寺境内にある先祖代々の墓の前で自殺してしまったのだ。白装束に身を包んでいたという。享年55歳。

名門宮大工家の現役正大工の自殺は世間を賑わせ、新聞各紙でも大々的に報道された。金剛組や四天王寺の関係者には大きな衝撃が走ったが、この危機的状況を救ったのは治一の妻よしゑだった。よしゑは四天王寺に嘆願して女棟梁として第38代を継ぎ、先代とは打って変わってトップセールスに走り、経営再建への道筋をつけた。

女性が棟梁になり、正大工職を継ぐというのは前例のないことだったが、四天王寺は嘆願を受け入れた。金剛組の技術力、金剛組と四天王寺の長年にわたる信頼関係、よしゑの熱意が評価された。

1934(昭和9)年、室戸台風のため五重塔が倒壊。四天王寺から金剛組に再建の命が下った。材木の調達だけで4年もかかるという難工事だったが、1940(昭和15)年に7代目五重塔が完成した。復興工事による収入で会社経営は回復した。

次ページマスコミがよしゑの活躍を大々的に取り上げた結果…
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