創業1444年!世界最古の企業「金剛組」長寿の秘密 「潰せば大阪の恥」とまで言われる技術力

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一方、金剛重光は四天王寺を護ることを命じられ、その子孫は四天王寺お抱えの宮大工として1400年以上歩み続けることになる。金剛家の当主は代々、四天王寺から「正大工職(お抱え大工)」という称号を賜り、現在は41代目。

1400年間には天災や戦災に見舞われることが多く、五重塔だけでも7回の焼失や倒壊があり、現在の五重塔は8代目である。

四天王寺から扶持米を受給

度重なる天災や火災で、古い資料はあまり残っていないが、五重塔は平安時代に落雷や火事で2回ほど焼失と再建を繰り返した。

1576(天正4)年には織田信長の本願寺攻めの際、織田軍に火をつけられて四天王寺全体が焼けてしまった。1600(慶長5)年に豊臣家の支援により4代目五重塔が再建されたが、1614(慶長19)年には大坂冬の陣の戦いに巻き込まれて焼失する。1623(元和9)年に徳川秀忠によって5代目五重塔やその他の建物が再建されたが、1801(享和1)年の落雷で五重塔や金堂など、主要な建物が焼けてしまった。その後、1813(文化10)年に6代目五重塔などが再建される。

焼失のたびに再建できたのは、四天王寺が多くの領地(寺領)を持ち、裕福だったからだ。金剛組は江戸時代までは四天王寺お抱えの宮大工であり、毎年決まった扶持米(手当)を得ていた。四天王寺という大きくて裕福な顧客を持つため、新たな仕事先を探す必要はなく、数多くの伽藍整備を請け負うことで経営は安定していた。

四天王寺から請け負う仕事を完璧にこなすために技術習得と技術継承に努めた結果、高度な技術が集積された。そして、たびたび再建という大工事を請け負うことで、さらに技術が磨かれた。焼失は良いことではないが、再建工事は高度な技術の維持・継承にメリットがあったといえる。

明治維新後に訪れた経営危機

天災や戦災に巻き込まれることはあったが、創業から江戸時代まで金剛組の経営は比較的安定していた。しかし、明治維新後に経営危機が訪れる。明治政府は1868(明治1)年に神道を国教化するために「神仏分離令」を発令する。

江戸時代の仏教寺院は、幕府の保護を受けて幕藩体制の一翼を担っていた。これに対して明治政府は、国家公認の宗教を江戸時代の仏教から神道に転換させることにしたのだ。寺領を没収された寺院は困窮することになる。四天王寺も寺領を失い、金剛組へ扶持米を支給できなくなったのみならず、安定的な伽藍整備を金剛組に発注することも難しくなった。

それまで金剛組は四天王寺からの仕事のみを請け負っていたが、他の寺社の仕事も請け負わざるをえなくなる。四天王寺のお抱え宮大工という信用力、高い技術力を武器に仕事を獲得したのだろうが、四天王寺以外の寺院への営業には相当な苦労があったはずだ。

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