筆者は、有名校だけでなく、定員割れが続いている公立校の部活もいくつか取材した。ある高校の野球部監督は、それまで野球一筋に打ち込んできたが、転任によって部員が2人しかいない高校にやってきた。1人は不登校、もう1人はその友人でアルバイトで学費を稼いでいる。
監督は当初はショックを受けて呆然としていたが、2人に野球の楽しさに触れてもらうために、グラウンドをならし、用具を整備し、キャッチボールから丁寧に教えた。部活を無断で休んでも決して叱ることなく「出て来いよ」と優しく声をかけた。「2人は部活をしなければ、学校をやめてしまうと思うんです。部活の時間だけでも楽しい思い出を作ってもらって、2人とも卒業してほしい」と語った。
部活は数ある選択肢の一つ
またある公立校の吹奏楽部には、古くて手入れの行き届かない楽器しかない。部員たちはアルバイトの合間に楽器に触りに来る。金管楽器の中には凹んだものもある。
指導者は「コンクールとかはとんでもないので、何とか数曲は演奏できるようにしたいんです。部員たちはクリスマスに近所の老人ホームで慰問のコンサートをやるのが目標です。この学校の子たちは、卒業後の目標がない子が多いのですが、お年寄りが喜ぶ姿を見て、福祉関係に行きたい、と言い出した子どももいます」と言った。
取材を通じて、筆者はそういう「部活」も、全国大会で華々しい実績を上げる「部活」に負けず劣らず大いに意義があると思うに至った。これも「部活」なのだ。
部活は、高校生にとって数ある選択肢の一つにすぎない。そして部活への接し方も、ガチガチの「熱中派」だけでなく、軽い趣味程度のものであってもよいし、文系、スポーツ系を掛け持ちしてもよい。欧米で一般的なようにダブルスポーツもあってもよいだろう。もちろん「帰宅部」も当然ありだ。「このスポーツで一生食っていく」みたいなのは、むしろ例外的だ。一言でいえば部活に大事なのは「ダイバーシティー(多様性)」ではないのか?
結局、「部活の選択」で一番大事なのは、高校生の「主体性」「自主的な判断」だ。大人たちは、さまざまな時間を過ごす高校生に寄り添って、控えめにアドバイスをする存在であることが求められる。
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