熱心に部活をしてきた人にとって、こういう話は珍しくもなんともないだろう。「何が悪いんだ? 私は部活に打ち込んで充実した高校生活を送ってきたんだ」という人もたくさんいる。
こうした指導者は、学校にとっては「教師の鑑」となる場合が少なくない。取材先の校長や教頭は「〇〇先生の指導には頭が下がります。24時間365日、子どもたちのことを考えているんですから」という。部活の熱血指導者を経て、校長や教頭などの管理職になる教員も多い。はたから見れば「ブラック部活」「やりがい搾取」のように思えるが、本人たちにその意識はないのだろう。
行きすぎた「部活至上主義」への批判の声は上がっているが、教育界では「中学、高校生は部活をするもの」「教師は授業のほかに部活指導もするもの」という価値観がいまだに根強い。そのために同調圧力に負けて望まぬ部活の顧問を押し付けられ、プライベートの時間を削る教員がいる。
そして一方で冒頭に上げた「生徒の意思に反して部活に強制加入させるケース」が全国で見られるのだ。部活をさせる親の中には「先生、うちの子は暇だとろくなことをしないから、家に帰ったらくたびれて寝るしかないほど、めいっぱい鍛えてやってください」などという人もいる。
中学から高校の6年間の過ごし方
世間の教師や親の多くは「勉強もしない、部活もしないでゲームをしたり、遊んでばかりいる高校生を絶滅させる」ことを目標にしているかのように思える。
何を隠そう、筆者は怠惰な高校時代を送ってきた。受験にも部活にもそれほど身が入らず、趣味に走ったり無為に多くの時間を空費した。若いころはそのことを後悔したこともあったが、今となってはそういう「バッファー」のような時間も、その後の人生になにがしかの足しになっているのではないかと思う。
中学から高校の6年間は、まさに子どもから大人への移行期であり、毎年のように体つき、容貌が変わり、意識も変化していくときだ。そういう時期に一つの道に打ち込むのも確かに重要かもしれないが、将来への不安や異性への思い、友人や親との軋轢などを経験し、悩み、時間を空費するのも意味がないとは思えない。
この6年間に勉強や部活だけでなく、さまざまな経験をすること、そして悩むことが若者の人格形成に非常に重要なことは、多くの識者が指摘している。
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