20年前に公開された、知る人ぞ知る闘病録
しかし、生前にこの文章を書くことができて、幸運だったと思います。
思い返せば、私の人生は幸運続きでした。
私を支えてくれた皆さんに、感謝します。
2002年3月22日>
(遺書)
「My School」(http://www.kit.hi-ho.ne.jp/cbxf)というサイトがある。近畿で暮らす松田賢二さんが2001年3月に公開した個人ホームページだ。インターネット黎明期に残された闘病録として、知る人ぞ知る存在となっている。
賢二さんは30代半ばにして希少がんを患い、近く訪れる死を覚悟したうえでサイト構築を始めた。同病の人のサイトどころか、闘病サイトすら簡単には見つけられない時代。手がかりが乏しいなかで、自らサイト構成を考え、HTML文書を手打ちし、ひたすらに闘病の記録をつづっていく。複雑なページ階層と縦横するリンクなどから、必死で暗中模索した情念がひしひしと伝わってくる。
賢二さんはなぜそこまでして闘病録を残したのだろう。そして、なぜ亡くなって20年近く経つ現在まですべての記録が読めるのだろう。My School」から学べるところは少なくないはずだ。
賢二さんが生まれたのは1965年3月。東京オリンピックが終わり、大阪万博に向かう高度経済成長の空気のなかで双子の兄として育った。カメラや機械いじりが好きで、これと決めたらとことん続ける実直な性格はその頃から変わらないという。
大学を出て京都府庁で建物などの設備設計に関わる仕事につき、27歳で結婚した。そんな順風な暮らしに陰が差したのは、次女が生まれて1年に満たない1999年4月のことだった。
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