37歳がんで逝った男の20年後も残る闘病録の重み HTML手打ちでHPに希少がんとの闘いをつづった

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<・4月、腰に痛みを感じるようになる。あとでわかったことですが、腫瘍が肥大し、神経を圧迫したのがこの痛みの原因でした。
・6月、この頃になると、仕事に支障が出るほど腰が痛くなり、痛み止めの座薬もあまり効かなくなり始めました。>
(精巣ガン/病歴/発症から入院まで)
6月の血液検査で異常が見つかり、翌月にかけての精密検査を経て、希少がんとされる胚細胞種のなかでも難治なタイプと診断された。
<・生検の結果、胚細胞種(精巣ガン)と診断される。タイプは非セミノーマ、絨毛ガン。
・とにかく、この時は腰が痛かったので、なんとかして欲しいと思うばかりで、告知に対してさほどショックはありませんでした。
・精巣ガンは、10万人に一人と言われるほど珍しいものですが、とくに私の場合、睾丸が全く腫れておらず、精巣ガンのなかでもさらに少ないタイプらしい。>
(同)

すでにリンパ節に転移しているという。そのまま入院となり、半年以上かけて化学療法と外科手術を受けることになった。

三度目の長期入院前にHPをスタート

それから二度の長期入院を経て2回目の職場復帰を果たした2001年3月、今度は肺の近くの縦隔リンパ節に転移が見つかる。直ちに手続きが取られ、三度目の長期入院を余儀なくされた。次はいつ職場に戻れるかわからない。「My School」がスタートしたのは、その入院の前日のことだった。

<35歳の2児の父です。死ぬことは、さほど怖くありません。でも、子供のことを考えると。。。
このホームページは、作ることで病歴などの整理ができる、応援してくださるみなさんへの報告、および他の患者さんたちの参考になればと思い作成しました。>
(精巣ガン/自己紹介)

ただし、サイト内にはトップページに掲げる「since 2001/3/29」以前に作成したページが数多く存在している。上に引用した自己紹介ページも2001年1月29日の更新だ。かねてから、やがて訪れる長期入院のタイミングでホームページを公開する構想を練っていたのではないか。

(外部配信先では画像を全部閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でお読みください)

2001年公開当時の「My School」(Internet Arciveより)

そう思えるほどにコンテンツも最初から充実している。そして、死との向き合い方も定まっているようにみえた。

更新日が表記されているうち、最も古いページは一遍の長文テキストのみで構成した「ガンと共に生きる」だ。2000年7月25日、2回目の長期入院時に無菌室(クリーンルーム)で書いたもので、このときの思索が「死ぬことは、さほど怖くありません」と断言できる根拠になっていると思われる。

5000文字を超える文章が残る「ガンと共に生きる」ページ(筆者撮影)
次ページ「私は、ガン患者。人よりも早く死ぬのです。」
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