今度は宮崎「餃子日本一」あちこちに誕生するなぜ 日本中で餃子が愛されるようになった理由5つ

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『きょうの料理』で最初に中国料理を紹介した、ハルビン出身の王馬熙純(キジュン)氏は、1958年に餃子のレシピを伝えている。このときニンニクは入っていないし、「熱いうちに酢じょうゆでいただくのがよい」と紹介している。

このように餃子は戦後、だんだんパンチが効く料理へと転換していっている。油を使って焼き、ニンニクが入り、酢じょうゆではなくラー油を使うようになる。同じ時代に広がったラーメンも、油脂を使ったパンチのある出汁がポイントだ。

肉食が表向き禁止された時代が長かったことから、長らく油脂を控える食文化が発達してきたが、戦争で栄養不足になり、騒然とした時代を生きる日本人は、カロリーとパンチを必要としていた。そのことが焼き餃子を求めさせたのではないだろうか。

パンチの効いた味は、病みつきになる。小麦粉の皮も、病みつきになる要因かもしれない。もともと日本では江戸時代から始まった、うどんその他の粉もの文化があった。数々の要因により、日本人はすっかり餃子のとりこになった。

近年は、トリュフやチーズ、スパイス入りといったアレンジ餃子を看板にする飲食店も増えている。さらにコロナ禍、外食が困難になり、テイクアウトに向く餃子の人気は高まる。宮崎市の躍進には、コロナ禍も影響している。

餃子は「したたかで戦略的」

全国各地で餃子の無人販売所が登場し、ブームになっていることもあるだろう。その中の1つ、群馬県水上の中華料理店「雪松」は、2018年9月に冷凍餃子の無人販売所を始め、全国各地に数百店にも拡大している。

もし餃子に人格があるとすれば、かなりしたたかで戦略的だ。戦後の食糧難、フライパンの流行、ストレスフルな社会で求められたパンチ、手軽さ。澁川氏によれば「何でも包み込む包容力」も魅力だ。

さらに5つ目の理由として、日本の侵略で激動の時代を経験した中国東北部が中心地という、ドラマ性の高さも考えられる。東京・蒲田を羽根つき餃子の町として認知させた「你好」は、満州で現地の女性と結婚した日本人男性の息子が開いた店で、その歩みがくり返しメディアに紹介されている。こうして定着した餃子は、今やすっかり日本人のソウルフードの1つになっている。

阿古 真理 作家・生活史研究家

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あこ まり / Mari Aco

1968年兵庫県生まれ。神戸女学院大学文学部卒業。女性の生き方や家族、食、暮らしをテーマに、ルポを執筆。著書に『『平成・令和 食ブーム総ざらい』(集英社インターナショナル)』『日本外食全史』(亜紀書房)『料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた』(幻冬舎)など。

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