ウクライナ戦争「振り上げた拳」の難しい下ろし方 ロシアの「愚行」の出口を戦争終結の戦史から探る

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一方、プーチン氏がウクライナ戦争で何を自分たちにとっての「将来の危険」と考えているのかは、必ずしも判然としない。「NATOの東方拡大を恐れての侵攻」との声も聞かれるが、そもそもウクライナのNATO加盟は差し迫った問題ではなく、ウクライナが西側寄りになること自体を認めないということのようにも受け止められている。

プーチン氏の主観には不可解な部分が残り、納得できる「将来の危険」というより、強迫観念じみたものの可能性もあるが、少なくとも「将来の危険」と「現在の犠牲」のバランスという観点からは、「現在の犠牲」の相対的な小ささがプーチン氏を「紛争原因の根本的解決」の極へと導いているように映る。

ウクライナの出方が与える影響

ただ戦争終結形態は、優勢勢力側が主導するとはいえ、そこには劣勢側の出方も一定程度影響する。

戦争終結をめぐる戦史からは、劣勢側が、犠牲を払ってでも屈しないか、それとも「損切り」によって収拾するのかを判断する際に、次のポイントが重要であることが見えてくる。すなわち、「現在の犠牲」にどこまで耐えられるのかということ(損害受忍度)と、第三者の介入などでパワー・バランスを自分たちに有利な方向に変えることができるかどうかということである。

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第二次世界大戦下の1940年6月、ドイツの快進撃に押されたフランスは、戦争継続か和平かで揺れていた。結局、和平派のペタンが首相となり、同月22日、フランスはドイツとの休戦協定に署名した。これにより、フランス軍は武装解除され、パリを含むフランス本土の5分の3がドイツの占領下に置かれた。非占領地域も、ペタン率いるドイツと協調的なヴィシー政権が統治した。

この時フランスが屈服したのは、パリが破壊されてもおかしくないくらいドイツの脅威が逼迫しており、また頼みのアメリカが自分たちの側に立って参戦してくれる可能性を信じることができなかったからであった。

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