中学生になって日本でインターナショナルスクールに通いましたが、そこでは『ロミオとジュリエット』に始まって、とにかく若者が主役の思春期文学を読んでいました。主人公と自分の内面とを比較しながら、自分の中で客観視するのです。時には友だちと感想を共有したりして、新たな発見があったようです。
こうして、長いものが読めるようになり、自分を内面化しながら、全体の内容を客観的に分析できるようになって初めて、IBでの批評を中心としたカリキュラムに対応できるようになるんだなと、傍で見ていて強く感じました。
――なるほど。菅谷さんは、お子さんへの読書の働きかけでは、何か意識していますか。
菅谷:日本にいると、とかく私たちは本という「正解」があって、そこからどれだけ理解できるか努力するというアプローチを小さい時から習慣づけられがちです。でも、本を使って思考力や想像力を広げられる読み方に、もっと小さい時から気付いていれば良かったなと思いますね。
例えば、表紙を見て「どういうお話しになると思う?」とか「なぜこのタイトルなのかな?」、「あなただったら、どういうタイトルをつける?」と問いかけたりするのも面白いです。語りの立場によってもストーリーは違って見えますし、「主人公と脇役を入れ替えるとどうなるだろう?」とか、「どうしてこういうシーンが出て来たのかな?」といったように、親子で同じ本を読みながら、子どもが好きそうなポイントを親がうまくすくい上げてあげるやり取りをする。本を親子のコミュニケーションの触媒に使うことで、立場が変われば感じ方も違うということに大人も子どもも気が付けると思います。
一方で、本は本棚に収まっているものであり、体験には勝てないと思います。自転車についての本を200冊読んでも、自転車に乗ってみなければ乗れるようにならないのと同じです。読書には限界があり、体験を通じてしか学べないという面にも自覚的でありたいですね。
ブックディスカッションをしてみよう
――「読書の限界」ということでしょうか。菅谷さんは、メディアリテラシーのご著書とともに、『未来をつくる図書館~ニューヨークからの報告~』(岩波新書)で、NYの公立図書館の歴史的背景や、貸本を超えた多面的な展開ぶりを描きました。
図書館には私もよく出かけますが、体験につながる読書を促す場として、日本の図書館にはもっと可能性があるのではないかと思えます。例えば、お二人のお話にも出て来たような、友だち同士で同じ作品を読んで意見交換し合う「ピア・リーディング」をやる場を提供したり……。
菅谷:今の日本の教育の弊害として「成績」があります。意図しなくても、「これはどう成績に結びつくか」と合理的に考えて行動してしまいがちです。共感力や創造性を養うことが、親にとっても子どもにとってもインセンティブになりにくい。
でも、考えてみていただきたいのは、良い大学に行って就職して、というのはたかが20代前半における人生の「点」にすぎない、ということです。私たちの子どもたち世代は、人生90年になる可能性が高い。20代からあと70年間どのように過ごすべきか考える時に、何が大切になるのか。思考力や共感力を養うとともに、トライ・アンド・エラーを繰り返せる「失敗できる場」が必要なのだと思います。図書館をはじめ、学校でも家庭でもないサードプレイスは、そのような場になれる可能性があります。
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