SDGsとGDPは両立できる?の問いがズレている訳 オードリー・タンが語る「169分の1」

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これは古いものを否定しているわけではなく、古いものだけで解釈していては成り立たないということを意味しています。そして、どれも同時にやり遂げる必要があります。少なくとも「経済」「社会」「環境」の三つ、〈トリプル・ボトムライン(Triple Bottom Line )〉だけは達成しなければなりません。

重要なのは、純利益が下がって損失を出すのと同じように、社会や環境を破壊することもまた損失であるということです。あなたが環境を破壊する方法で事業を営めば、後世の人々が事業を興すための資源がなくなってしまいます。

台湾にはこれを表す「竭澤而漁」という諺があります。大きな池や湖に棲むすべての魚を一度にすくい上げられたら、多くの魚を売りさばいてすごく儲かった気がするものですが、その場所には魚がいなくなってしまうので、二度と同じことは起こらないという意味です。今後、その人の子孫たちがその場所で魚を獲る可能性を摘んでしまうことになるのです。

ですから、まずは私たちが「短期の経済成長を追求することで未来の経済の可能性を犠牲にすること」を“損失である”と捉えられてはじめて、経済成長と環境保護の両立についての対話が始められるでしょう。もし私たちが後世を犠牲にして、現代を豊かに生きることを“利益を出した”と呼ぶのなら、私たちが他にどれだけ環境によいことをしても相殺され、すべてはなかったことになってしまうでしょう。

何かを手放さなければ〈SDGs〉を達成できない?

「〈SDGs〉の達成と経済成長は両立しないのではないか?」と、その狭間で悩む人もいるかもしれません。私たちは日々さまざまなものを生産しすぎていて、そもそもそれらを生産しなければ、消費も廃棄も起こらず、地球への負担が減らせるのではないかといった指摘もあります。

そのヒントとして、台湾はゴミのリサイクル率が非常に高いということが挙げられます。「ゴミのリサイクル率が非常に高い」という前提がある時、「ガラス瓶を製造すべきではない」という意見はあまり論理的ではなくなりますよね。なぜならガラスの瓶は一時的に瓶の形状をしているだけで、回収された後にまた熱せられて、今度はアート作品に変わることもできるからです。

けれど、もし良好なリサイクルの循環ができないのであれば、それはとても残念なことです。

つまり、すべては「その資源がリサイクルできるようコントロールできているかどうか?」によるのです。コントロールの精度が高ければ高いほど、現在は暫定的にとある形状で生産されていたとしても、後世の人々に影響することはありません。けれどリサイクルされないまま地面に埋められてしまったら、子孫たちはそこに資源があることを知らないまま、掘り起こすこともできないでしょう。そうした前提であれば、確かに「最初から生産すべきではない」という議論が必要になるかもしれません。

ちなみに、モノの中には「リサイクルすると価値が高まるもの」も存在します。そうなれば、より多くの人々がリサイクルしようとするようになるでしょう。携帯電話に使われていた金属がオリンピックのメダルに使えるとなると、皆が喜んで集め始めて、その価値はとても高くなりますーーそもそも携帯電話に金属を使うべきだったのかどうかは疑問が残りますがーー。

反対に、リサイクルのたびに価値が減少し、ある時点でリサイクルのためのコストがその価値を上回ってしまうと、誰もそれをリサイクルしようとしなくなりますよね。

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