「現代の闇」を予言したマルクスとケインズの慧眼 GAFA支配は「アヘン貿易の世界化」に他ならない
もう1つの救済に回すべきお金も十分すぎるくらいにあります。毎年1月に国際NGOのOxfamが貧困に関する報告書を出しているのですが、純資産が10億ドル以上あるビリオネアは2021年11月時点で2660人もいて、彼らは13.8兆ドルを保有しています。
イーロン・マスクやジェフ・ベゾスなど世界の富豪トップ10の純財産は1.52兆ドルです。これを1ドル紙幣で積み上げると16万5173kmとなって、月までの距離の半分になるそうです。また、トップ10の人が一日100万ドル使っていくと、414年かかると言っています。彼らの財産は彼らの生活水準の向上にはまったく役立たないと思います。
ラ・フォンテーヌは『寓話』(1668年)に財産は「使ってこそ所有ということに意味がある」といっています。使わないで死蔵されている財産が盗まれる話を紹介しています。これを現代的に解釈すれば、死蔵されている財産は国家が仲介に入って、有効に使う人に所得分配しましょうということになると思います。所有権の根底は生存権があるという基本に立ち返る必要があります。
マルクスの冷徹な分析
木村:富の偏在の問題が、有史以来ここまで顕在化したことがあったでしょうか。マルクスはプロレタリア階級による革命理論としては、とても合格点はあげられません。資本主義先進国では社会主義革命は起こらなかった。予言ははずれましたが、商品の物神崇拝、労働者の疎外など、資本主義の構造についてのダイナミックで精緻な分析には、現在でも高く評価できる、すばらしいものがあると思っています。
水野:すばらしいですね。おそらく、富の偏在が今と同じくらいだったのは、ローマの大火があった皇帝ネロの時代以来だと思います。
木村:1848年にフリードリヒ・エンゲルスと共に著した『共産党宣言』は、世界で最初のグローバリゼーション批判の書なんですね。「日々拡大する商品市場の需要は、資本家たちを全世界に向けて駆り立てる」とあります。急速にグローバル経済に侵食される世界と、貪欲な資本家の姿勢を痛烈に批判しています。
1857年にマルクスは『経済学批判』を著して、世界中からあらゆる商品が集まってくるグローバル都市ロンドンの目抜き通りのショーウインドーを描写しています。ヴィクトリア女王のもとで英国の「パクス・ブリタニカ」が頂点に達したころのことですね。
アダム・スミスが『国富論』を出版したのは1776年、マルクスより100年ぐらい前、米国の独立宣言の年のことですが、重商主義経済の下で、スミスが描いたような「見えざる手」なるものは存在せず、富は偏在し、労働者は収奪されていく。その構造を、マルクスは冷徹な目で分析しています。
水野:確かに、資本主義批判として見れば、天下一品ですよね。19世紀の半ばに、まるで現在の世界を見透かしているようです。
ケインズとマルクスがいて、それからもう一人、所有権ではロックがいますけれども、彼も死にそうな人がいたら、裕福な人はちゃんと助けろと言っているんですね。