最後の15本を更新した後、山下さんは編集部署から離れ、通販事業を行う「インプレスダイレクト」に異動した。体調を鑑みて会社が下した決定であり、おそらくはもう編集の職には戻れない可能性が高いことを自覚していた。だからこそ、自分が得た知見を余すことなく後進に伝えるため、Ken's Home Pageという自分が自由に書ける場で筆を振るったのではないか。
ただ、特定の相手に伝えるならメールでいいはずだ。紙の雑誌とメールとウェブ、それぞれの特性を熟知した山下さんが部下に向けたメッセージをあえて個人サイトに書き込んだのは、自分が職業人として得た知見を部下はもちろん、より多くの人に伝えたい。そういう編集者としての最後の願いが込められているように思える。
自分らしい治療スタイルを手探りで手に入れた
その後の山下さんの動静と心境は、『がんとの闘い方は自分が決める』(安斎尚志・松本康男著/KAWADE夢新書)で推し量れる。
2000年6月11日にNHKで放送された『NHKスペシャル 世紀を越えて がんと闘う――患者主役の治療へ』の取材をベースに、取材班の2人が執筆した新書だ。通販部署に移って間もなくの頃、山下さんはこの番組のインタビューに応じている。
本には朝から夜7時まで職場で働き、夜に病院に通う山下さんの様子が残されている。3週間ごとの抗がん剤治療のときだけは5泊6日で入院し、それ以外の日は仕事と家庭の時間が持てるように時間を最適化してがんと向き合う。夜間診療を含め、患者の生活の質の向上を重んじる医師を探しだすなどして、自力でたぐり寄せたライフスタイルだ。
今でこそ患者が治療方針の決定に参加する共同意思決定(Shared decision making=SDM)は広く受け入れられているが、2000年当時は患者が治療のスケジュールや方針の希望を通すのは難しいところがあった。何しろ詳細な病状さえ本人に伝えられないことが多かった時代だ。実際、最初に小腸がんが発覚したときは、腹膜への転移がみとめられたことは家族にしか伝えられなかったという。山下さんはこんな言葉を残している。
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