「昔話」が教えてくれる「欲を捨て人生を開く方法」 自分の半径3メートルの世界が明るくなる秘訣

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でも注意しなきゃいけないのは「足りない」気持ちにはキリがないということ。足りないから何かを手に入れるんだが、一旦手に入れたら満足するかというとさにあらず。また次の何かが欲しくなってしまう。その何かさえ手に入れれば自分の人生はもっと良くなると思う。こうして永遠に「足りない」が続く。

これは、結構つらい。というか、かなりつらい。ある種の餓鬼地獄、無間地獄である。かつてそのど真ん中にいた者として、あの頃のなんとも言えない、救われない出口のない感じを思うと、今も胸がぎゅっとなる。

そこから抜けたければ、主観の転換しかないのだ。というか、逆に言えば主観さえ転換してしまえばいいのである。何度も言うが人生は考え方が10割。客観的には何一つ変わっていなくとも、「足りてる」と思うことさえできればいいのである。

テッパンの方法は「あげる」こと

で、そのために私が心からオススメするテッパンの方法があるのだよ!

それはですね……「あげる」ということです。

そうなのです。ここでお話は振り出しに戻りました。「もらって暮らす」夢の生活へのコツは、まずは「あげる」ところからということはすでに述べた。そしてこの「あげる」は、この夢の生活を永遠に回す最大のエンジンである「無欲」への第一歩でもあるのだ。

なので、「あげる」ことができるかどうかは実に決定的なのである。

でもそうは言われても、いきなり「あげる」のは不安という人もきっと少なくないですよね。

だって、ただでさえ足りないんだから、人に何かをあげてる場合じゃない、ここでうっかりアフロの口車に乗って、気づけば自分は無一物になって路頭に迷ったらどうしてくれるんだ! ……と思う方も少なくないのではないでしょうか。

いや大丈夫。何も、最初からやみくもに何でもかんでも「あげる」ことなんてない。まずは、あげてもどうってことないもの、自分の身をまったく痛めないもの、あるいは捨てようと思っていたもの、そんなところから始めればいいのである。

肝心なのは「何をあげるか」ではなく「あげる」という行為そのものなのだ。

自分には何もない、人に何かをあげる余裕なんてどこにもないという悲しい自己評価を脱し、いや自分は人にあげられるものを意外に沢山持っている、つまり案外「余裕ある人間」なんだということに気づくことなのだ。

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