「昔話」が教えてくれる「欲を捨て人生を開く方法」 自分の半径3メートルの世界が明るくなる秘訣

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しかしそのようなありがたい教えの数々も、「欲をあきらめない」ことこそが絶対善という資本主義の大宣伝を前にしては、もはや風前の灯、あるいは猫に小判である。聞く耳を持たぬ者にはどれほどのいい話も影響力を持つことはできない。

つまりは私ごときが「欲を捨てることが大事」と1万回唱え、なんとか「そりゃまあそうかもしれん」と思っていただいたとしても、あまりに現実社会とかけ離れすぎていると思われてしまったら、所詮は自分には無関係と、結局は今までどおりの「頑張っているのになぜかいつまでも苦しい人生」を送り続けることになってしまう人がほとんどなのではあるまいか。

そう「ありがたい教え」だけでは不十分なのである。

必要なのは、教えと現実をつなぐ架け橋なんじゃないか。具体的な「とっかかり」をお示ししなければならないんじゃないかと反省したわけです。

誰でもできる最初の一歩。物事は何でもそうだが、その一歩さえ踏み出すことができたなら、そう重い鉄の玉も最初のひと転がしで1ミリでも移動させることに成功することができたなら、次第に勢いがついて転がすのはどんどん楽になり、気づけば停止困難なほどの高速回転で進み始めるものである。

というか、それはまごうことなき今の私の状態である。

欲を捨てる方法は禅の修行だけじゃない

ってことで今回は、人生を救う「無欲への道」への第一歩を、私なりに具体的にご提案申し上げる次第であります

無論その方法はいくらでもあり、お好みによっては禅の修行などもございます。坐禅。瞑想。断食……などなど。でもこれはこれでまあまあハードルが高い。なので私、もっと簡単で実用的な方法を考えてみました。

そもそもですね、われらがなぜ欲望を抑えられないのかというと、その根本理由はただ一つで、「足りない」からなんですね。あれもこれも欲しい、溜め込みたいと思うのは、自分の人生には不足してるものがあると思うから。

決して性格的に「欲深い」わけじゃないんである。単に、足りないものがあるから欲しいのだ。生きていく上での止むに止まれぬ行為なのである。

ちなみにこれは客観的な話じゃなくて、あくまでその人の主観の問題だ。

宮殿のような家に住み、山ほどのお金や服やら家具やらなんやらを持っていても、その人にとってみれば「まだ足りない」ことだってある。これはいいとか悪いとかいう話じゃなくて「人生は考え方が10割」なのだから、本人がそう思えばそうなのだ。

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