「難しすぎる」共通テスト数学が抱える根深い問題 基礎的な試験というより「処理能力を測る試験」
Aは花子さんと太郎君が登場して、会話調で楽しく進行する例。Bは、筆者が小学生相手に出前授業でよく用いる話し方だ。AとBの本質的な違いは、線路の1本の長さをAでは30mと仮定し、Bでは実際の線路の長さを用いている点である。要するに、BよりAのほうが会話という点で面白いかもしれないが、リアリティーという点でAよりBのほうがいいことがわかるだろう。
このように、算数・数学が実際の生活に役立つことを訴える場合は、用いるデータはなるべく実際のデータを用いる問題を作るほうがいい。ちなみに、かつて某出版社の中学数学の教科書に「1本の線路が100m」という仮定の問題があった。そこで筆者は「それは不適当」と伝えて、直していただいたこともある。作問に無理をさせてまで、花子と太郎を登場させなくてもいいと考える。
ここで冒頭に戻って考えると、現在の大学入学者数は毎年約63万人ぐらいである。今回の数学I・Aの受験者数と30万人ぐらいの開きがあるが、その30万人の多くは数学の試験を一切受けないで大学に入学する、いわゆる私大文系コースだろう。
早稲田大学の政治経済学部が昨年から入試で数学を必須にしたことで、予想外に世間を(いい意味で)お騒がせしたのも、「私大文系は数学が不必要」という日本固有の迷信を打破する行動に舵を切ったからだ。筆者もこの件は意義があると考え、東洋経済オンラインで2回にわたってその意義を訴えた次第である。
しかしながら、それに続く大学はなかなか現れてこないのも現実である。そこで、「%がわからない大学生」が大学に大量に在籍している現状は一向に変わらないだろう。「『数学嫌い』の人は暗記教育の犠牲者といえる理由」で訴えたように、算数力不足の大学生の問題は、学生に責任はほとんどなく、「日本の数学教育の犠牲者」の面が大きいのだ。
同一の試験を廃止するのも1つの手段
要するに、小学生の頃から理解無視の暗記だけの教育が一部を除いてまん延している。だからこそ、2020年末に『AI時代に生きる数学力の鍛え方』を上梓した。最近、ニューズウィーク日本版のネット記事「『サイエンスは暗記物ではない』ノーベル賞物理学者、真鍋博士の教育論」(2022年1月14日)を拝読し、まさに“天の声”だと感激したのもそれゆえである。
上で述べてきたことを踏まえると、行き詰まり感のある大学入学共通テストは抜本的な改革が求められているのだ。筆者としては、受験生の学力差がますます大きくなっている現実を直視して、いつまでも同一の試験を課すことは思い切って廃止し、個々の大学が期待する学生像を示すような独自の入学試験を創意工夫して設ければよいと考える。2次試験を設けるか否か、あるいは入試日程をどうするかなども、個々の大学が独自に決められる状況が望ましいはずだ。
少子化の現在の日本で、やり方の暗記による処理能力とは異なる、長時間でも考え抜く(努力し続ける)力をもった多くの青少年が現れて、日本の将来に向けて大活躍してもらうことを、祈りつつ。
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