大阪でネイルにキャラ描く彼女が得た最高の稼業 独自の「痛ネイル」を身に着けるまでに努力重ねた

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小学校で入った武道系の部活は、中学校に入っても続けていた。

「部活の顧問に目をつけられてしまって大変でした。囲いこもうとするんですね。今に比べて部活動が厳しい時代で、普通に殴られるし、負けたら罰として遠征先に置いていかれたこともありました。あまりに部活動に行きたくなさすぎて、

『不登校になる!!』

って決めたことがあったんですが、顧問が家まで迎えにきて強引に学校に連れていかれました」

部活漬けの鬱屈とした中学時代を振り切るために、高校は登下校に2時間かかる遠くの学校に決めた。顧問の目が届く近い場所の学校に通うと、再び武道をやらされるかもしれないという恐怖があったからだ。

「中学時代に押さえつけられていたので、高校で爆発して遊びまくりました。大阪や東京の都市部まで遊びに行って、年の離れた人達と遊んでいました。ちやほやされてると思いこんでいたんです」

ただ遊びながらも授業はきちんと受け、留年せずに卒業した。

小さな頃から家で音楽を習っていたので、高校卒業後は音大へ行くことも考えたが、ピアノが苦手なので音楽の専門学校に進学した。

それと大阪のキャバクラで働きはじめた。

キャバクラの仕事で朝起きられなくなり、2カ月後には学校は辞めてしまった。

その頃、東京に気になる男性がいたので、勢いで東京に引っ越した。

人生一度目の気づき

東京でも相変わらずキャバクラで働いた。

「キャバクラで働いて、すごく絶望しました。私が女子高生のときにちやほやされていると思っていたのは、私が女子高生だったからって気づいちゃったんですね。私が綺麗だったり、特別だからだったわけではないんだって知りました。それが、

『自分は美しくなく、この場において価値がない』

という人生の一度目の気づきでした。

ただ、ほかにできることもなく、キャバクラで働き続けました」

絶望はしたが、結木さんは気弱になってしょげるようなタイプではなかった。

容姿端麗な女性と真っ向勝負しても仕方がない。自分は自分の売り方で稼ぐしかないと心を決めた。

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