今「会社での出世」はどうでもいいと納得できる訳 ライフシフト時代は「誰もが自己チュー」社会だ

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人間の思考は、どうしても目の前のことに向きがちになる、ということはあります。ですがそれでも、意思の力で、考えるという行為に踏み出すことが、自分の人生に対する礼儀ではないかと僕は思っています。

「Being=ありたい姿」を描こう

本書には、「ありうる自己像」というキーワードがありますが、僕のよく使う言葉で言えばこれは、「Being=ありたい姿」ですね。何をしたいか、ではなく、どうありたいか、が重要だと思います。

僕のBeingは、「最大多数の最大幸福」です。ほかの人に喜んでもらえる人生を歩みたいのです。自分のやり方でほかの人がハッピーになってくれれば、それがベストな自分であるという考え方です。

聴衆の方に向かってこのように講義するというのは、わかりやすい利他の活動に入るかもしれませんが、僕が自分にとって快適な時間を過ごすということも、それを参考にしてくれている人がいる限り、利他であると考えています。

かつては、いい大学に入らなければ受けられなかった教育も、インターネットによってタダ同然となりました。超一流の学者さんの考えは、SNSで読めますし、海外の優れた論文も、翻訳ソフトで簡単に読めてしまいます。「知る」「学ぶ」ということのコストがすっかり下がってしまったのです。

そのような世界には、膨大な選択肢があります。その中から「正解」を探して1つずつ吟味していくようでは、人生が何百年あっても足りません。だからこそ、「自分」という主語を持ち、自分にとって何が大事なのか、といったフィルターをかけなければ、情報に流されてしまうばかりになるでしょう。

つまり、後悔しないためには、自分らしく生きること。それに尽きます。たくさんの選択肢があるだろうし、その中にはいいものも悪いものもある。でも「自分らしく生きられたんだから、まあいいかな」と思うことができれば、笑顔でいられるのではないでしょうか。自分自身がロールモデルになれればいいのです。「正解」前提で考えてはいけないのです。

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