今「会社での出世」はどうでもいいと納得できる訳 ライフシフト時代は「誰もが自己チュー」社会だ
僕は、寄り道ばかりしてきた遅咲きの人間で、特別な能力があるわけではありません。単に、マインドセットをアップデ-トして、他者からの評価を気にしなくていい生き方を選んできたのです。
「出る杭」という言葉がありますが、僕は、自分を宇宙空間に浮いている存在だと思っています。自分を杭と考えて地面に刺してしまい、「出た/引っ込んだ」と平面的に考えるからしんどい。自分をわざわざ動けないもののように定義する必要はないでしょう。
2次元で考えるというのは、呪いでしかありません。宇宙空間に浮いていると思えば、上も下もないわけですから、好き勝手に動いていいわけです。
僕が勤めていた当時の日本マイクロソフトの社長は、実は後からそうだと知ったのですが、高校の後輩でした。ヒエラルキーの中では、向こうのほうが上ですが、自宅に来て妻と一緒に楽しく食事するなど、仲良くしていました。
この話をすると、よく日本の企業の方から「高校の後輩が社長なんて、やりづらくないですか」と聞かれますが、まったくそんなことはありませんでした。1年先輩か後輩か、なんて誤差でしかありませんし、僕は社長をやりたいとは思いませんでしたから、むしろ「やってくれてありがとう」と思うのです。
単に、役割が違うだけ。でも、個人的に話が合うということなんです。
「自己チュー」であることをお互いに認め合う
マイクロソフト時代、僕がマネジャーになったとき、僕が平社員だった頃に本部長だった方が、僕のチームのメンバーに入ってくれたこともありました。日本的に言えば、「部下」に当たります。評価は僕がしますが、その人は、僕のメンターでした。
お互いに思考を自由にするだけで、こういうことができるのです。
「ダイバーシティー」というと、日本では女性活躍などの話が中心になりますが、僕は「全員がお互いに『自己チュー』であることを認め合う社会」だと考えています。
自己チューは、悪いことだと刷り込まれていますが、実は、『ライフ・シフト2』に書かれていることこそ、自己チューということです。外部との関係性において生き方を考える中で、「自分はどう生きるのか」という軸で変換してアウトプットするという内容なのですから。
本書の内容を、誰かが勝手になにかを変えてゆき、自分はそれに沿ってシフトしていくんだろう、というように読み取ってはいけません。自分が、シフトできると思えるかどうか。そこが最も大事な点です。「思考とは自由である」。人生は、自分で自由にデザインできるのです。
(構成:泉美木蘭)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら