一方、ドイツ語には「教育」を意味する単語が複数あるが、そのうちのひとつは、「引き出す」といったラテン語がもとになっている。一般にいろいろなものをやってみて、もし才能があることがわかり、それを続ける意欲があれば、それを「引き出す」、というやり方が強い。ドイツ・スポーツクラブが「ゆるゆる」に見えるのもある意味、納得がいく。
「事例」を学ぶな
当連載では、なぜ日本のスポーツでいじめや体罰が発生するのかということを、「スポーツ文化」の視点で日独の構造的な比較から考察した。そしてドイツのスポーツが、健康、コミュニティ、教育、経済、宗教など幅広いセクターと結びつき、スポーツが社会的に価値のあるものになっていることを紹介した。
ただ拙稿でとりあげたドイツの制度やプロジェクトをそのまま日本にコピーしようとしても、社会構造や歴史がそもそも異なるので、無理がある。外国の「事例」を学び、それを処方箋としようという発想が日本には強いが、ゆっくりと社会の中で文脈を練り上げていかねば、結局は対処療法的なことにしかならない。ドイツの「事例」から見るべきは、本質的に日本と何が異なるのかという点だ。そこから考えたときに次の2点から議論を出発させてみるとよいのではないだろうか。
①スポーツには競技以外の価値がたくさんある。その価値を言語化する
②スポーツは社会の一部。だからたくさんある価値を「スポーツの世界」だけに留めず、社会のなかでどう展開するか
そこから地域コミュニティ、行政、学校、企業、医療、政治、NPO、寺社、といった既存のセクターとスポーツをどうすれば、うまく組み合わせられるかが課題だ。これに対して、気の遠くなるような議論の積み重ねが必要になってくるかもしれないが、そんなプロセスそのものも社会をよくしていけるものになっていくように思う。
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