東京でのオリンピック開催が決まる一方、相変わらず体罰やいじめといった問題があとを絶たない。われわれは文化としてのスポーツのあり方そのものをもう一度考えなおす時期にあるのではないか。「スポーツ」はもともとヨーロッパで誕生したものだが、日常生活における文化としてのスポーツの実際をドイツの例からお届けする。
ドイツのスポーツの世界を見ていると、構造的にいじめや体罰はおこりにくいと思うことが多い。その理由のひとつはスポーツクラブがドイツのスポーツ基盤であり、スポーツ文化そのものだからだ。
資格で解決はしない
いじめや体罰が日本のスポーツ界で問題になって久しい。とりわけ日本の柔道関係者と会うと「ご存知のように、いろいろ大変でして・・・」と居心地の悪さをまず、枕詞につける人が多い。
そういう現状に対して「手本」になりそうだと挙がるのがフランスだ。かの国は柔道人口の多い国でコーチの国家資格がある。そして「国家資格があるから暴力がおこらないのだ」という論調で報道される。
国家資格があればよいかといえば、筆者の意見は「ノン」である。
確かに国家資格が暴力やいじめをおこらないことに影響している部分もあるかもしれない。が、基本的には文化としてのスポーツの違いを見なければ、いじめ・体罰がなぜ日本におこりやすいのかはたぶん、解明できない。というのも「スポーツ」は世界中で行われているが、裏をかえすと、その国や地域の身体文化、人間関係、社会システム、運営システムなどと深く関わっている文化だからだ。
また冒頭で例にあげた柔道は武道であってスポーツではないと考える向きもあるかもしれない。しかし柔道もまた世界中で行われており、やはり各地のスポーツ文化と融合しながら行われている面がある。
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