今日、根性論と一線を画すトレーニング方法や生涯スポーツを追求する動きも出てきているが、スポ根アニメで育った指導者もまだまだ多い。「スポーツは遊び」という定義は頭でわかっても、しっくりこない人も多いのではないだろうか。
なぜドイツではスポーツが「余暇」なのか
「スポーツとは遊び」への筆者の違和感が氷解したのが、ドイツのスポーツクラブだった。第3回「ドイツの学校には部活がない?」でも述べたように、スポーツクラブはNPOのような組織で、老若男女が日常的にスポーツをする場だ。しごきや体罰とは無縁で、コースによっては「ゆるゆる」にすら見える。また第6回「勝利だけにあらず。これがドイツの秘密」でも述べたように、ドイツも戦後は競技中心だったが、1960年代から健康や余暇、社交といった「ブライテンスポーツ(幅広いスポーツ)」を推進してきた。勝利や記録だけにこだわる狭量なスポーツ像と決別したのだ。
ドイツも戦後は経済成長期を体験しているが、むしろ余暇時間を増やしていった。そこへ職住近接が重なる。さらに、なぜきっぱり仕事とプライベートを切り分けやすいのかを考えると、制度以外に時間感覚も影響しているのではないか。ドイツの時間感覚は一直線で、タスクをひとつずつ片付けていく傾向が強い。職場では、ほとんど休息をとらずに仕事に集中、そして「就業時間」という大きなタスクが終わると「プライベートの時間」に切り替える。かたや、日本の職場を見ると、複数の仕事を並行にこなし、缶コーヒー片手に「だましだましの休息」。結果的に長時間職場にいる。
このように仕事とプライベートの時間を比較的切り分けやすい上に「幅広いスポーツ」ができる場があるのがドイツだ。「遊び」「気晴らし」としてのスポーツが実現しやすい。余暇に関する複数の統計を見ても、決して上位ではないが、スポーツがひとつの余暇として成り立っている。
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