ちなみに2004年のやや古い統計(※)だが、日本、韓国、アメリカ、スウェーデン、ドイツの青年の国際比較調査の「友人との余暇活動」の項目で、「スポーツをする」がドイツ34.3%、日本16.5%である。日独の差だけを見ると、スポーツが「余暇」なのか、「学校という枠組み」なのかという差が透けて見えてくるように思う。
※「世界の青年との比較から見た日本の青年 第7回 世界青年意識調査報告書」 (総務庁青少年対策本部、2004年)
「仕立てあげる」と「引き上げる」
日本でスポーツが「余暇」にならない理由に、教育観も影響していると考えられる。アメリカで自らの厳しい育児について書いた『タイガー・マザー』(エイミー・チュア著、齋藤 孝訳、朝日出版社)という本が2011年に話題になった。中国系のルーツを持つ著者は子供に毎日ピアノを練習させ、上位の成績を取るようにとスパルタ方式の教育を行った。このやり方は個性を重視するアメリカ式となじまなかったのか、最後には子供に反抗されるのだが、大雑把にいえば、これは我々アジアの中に残っている教育観に思える。
すなわち、ドリル方式・根性でやり抜くことを課し、ある状態に「仕立てあげる」という発想だ。これは、冒頭でふれたマンガ作品「巨人の星」ともイメージが重なる。同作品では主人公・星飛雄馬を父親・一徹が子供のときから徹底的に鍛えあげるのだ。ちなみに今日でも、サッカーのチームに子供が入ってくるときに、「ウチの子をJリーガーにしてください」と言う母親もいるとか。そこにはJリーガーに「仕立てあげたい」という発想が見いだせる。
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