「真剣に離婚を考えた」夫が今も妻を支える理由 「歩いて帰ってきなよ」が変えた夫婦関係

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この言葉をきっかけに、子育てについて改めて話し合うことになった杉山さん夫婦。だが、妻の口から飛び出したのは「私はできないけどどうする?」という言葉だった。「僕がやるしかないんだ」と感じた杉山さんは、“兼業主夫”を名乗ることを決め、仕事をセーブすることを決めた。同時に、メールの署名を放送作家から「兼業主夫放送作家」に変えた。イクメンという言葉が、まだまだ浸透していなかった頃の話である。

離婚危機の中、訪れた「3.11」

子育てに関しては杉山さんが仕事をセーブすることで、一定の解決を見せたものの、肝心の夫婦の関係は、すっかり冷え切っていたよう。

「正直、その頃は真剣に離婚を考えていました。しなかったのは、そもそも夫側は親権が取りにくいのですが、娘がまだ未就学児の時期はなおさら取りにくいと聞いていたからです。

だから、ひとまずあと数年頑張ろうって。知り合いの弁護士のアドバイスもあり、日々、自分が育児でしたことを記録しながら過ごしていました」

妻への不満を抱え、離婚を視野に入れて過ごした杉山さん。家事を終えると外に飲みに行き、妻が眠りにつくまで帰らない日々が1年以上続いたというから、なかなか深刻である。

しかし、娘が小学1年生になった2011年の3月11日に発生した、東日本大震災が夫婦関係を大きく変えることになった。

「職場にいた妻が、すごく軽い感じで『車で迎えに来てよ』と電話してきたんです。車を出したんですけど、渋滞がすごくて。妻の職場は家から3キロくらいなので、引き返すことにしたんですね。そしたら妻が『まだ?』って言うから、僕は『大人なんだから歩いて帰ってきなよ』って言って、妻も『そうだよね。じゃあそうする』って。

今まではそういうことを言うと喧嘩に発展しそうなイメージしかなかったんですけど、実際は違った。その時、気づいたんです。それまで自分の気持ちを溜め込み、口にしていなかったことに。

もしかしたら、僕は妻に気を使いすぎてたのかもしれない。口にしてたら、変わっていたのかもしれない。そんなふうに思いました」

震災の影響で、家を出られない状況が続いたが、代わりに妻と話す時間が増えた。その中でそれぞれの思いを話し合うことができた。離婚という結末に向かっていた夫婦関係が、思わぬ形で、カウントダウンを止めたのだった。

お互いに相手を羨ましがっていた

環境の変化、ターニングポイントとなった大きな出来事で気づいた意識の変化など、そのつど柔軟に対応してきた杉山さん。ジャンルは違うが、それぞれがクリエイターというのも、夫婦関係に深みを生んでいくことになる。

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