得意満面とは、このことだろう。自分たちが中心となり、幕政改革を行うという先代からの夢を、久光と大久保はついに実現させることとなった。斉彬も西郷も成し遂げられなかったことである。
大久保は日記で珍しく、喜びの感情をありありとつづっている(『大久保利通日記』)。
「数十年、苦心して焦り思い募らせていたことだから、まだ夢心地のような気持ちだ。日本にとってこれ以上喜ばしいことはない慶事である。長年の欝々とした気持ちを吹き飛ばすことができた」
しかし、ピンチはチャンスの裏返しだが、逆もまたしかりである。浮足立ったときにこそ、危機というものはそっと近づいてくる。
生麦村で起こった不幸な偶然
1862(文久2)年8月21日、島津久光率いる薩摩藩一行が意気揚々と、江戸から引き上げているときのことである。生麦村を通過するときに、イギリスの生糸商人であるリチャードソンたちと遭遇する。リチャードソンは知人の女性ボローデル、友人のマーシャルとクラークの4人で、居住地の横浜から、観光で川崎大師に向かっている途中だった。
そのとき、不幸な偶然が続いた。まず、リチャードソン一行のなかには、通訳がいなかった。また、来日早々だったため、大名行列に出会ったときの作法を知らず、リチャードソンたちは馬から降りなかった。そのうえ、リチャードソンが馬の操作を誤って、行列の中に突進していってしまったのだ。
奈良原喜左衛門は、大名行列を目の前にしても下馬せずに突っ込んでくるという、異国人の無礼に激怒する。寺田屋で同士討ちを決行した奈良原だから、剣の腕前にも自信はあった。すぐさまリチャードソンを斬り殺してしまう。
これが世に言う「生麦事件」である。まさに、久光や大久保が得意満面でいる、そのときに起きた事件だった。この殺傷事件をきっかけにして、薩摩藩は最大の「身の程知らず」ともいえる大国イギリスとの戦争、「薩英戦争」を引き起こすことになるのだった。
(第10回につづく)
【参考文献】
大久保利通著『大久保利通文書』(マツノ書店)
勝田孫彌『大久保利通伝』(マツノ書店)
松本彦三郎『郷中教育の研究』(尚古集成館)
佐々木克監修『大久保利通』(講談社学術文庫)
佐々木克『大久保利通―明治維新と志の政治家 (日本史リブレット)』(山川出版社)
毛利敏彦『大久保利通―維新前夜の群像』(中央公論新社)
河合敦『大久保利通 西郷どんを屠った男』(徳間書店)
家近良樹『西郷隆盛 人を相手にせず、天を相手にせよ』 (ミネルヴァ書房)
渋沢栄一、守屋淳『現代語訳論語と算盤』(ちくま新書)
鹿児島県歴史資料センター黎明館 編『鹿児島県史料 玉里島津家史料』(鹿児島県)
安藤優一郎『島津久光の明治維新 西郷隆盛の“敵"であり続けた男の真実』(イースト・プレス)
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