「中学から料理担当」女性が病床の母にかけた言葉 娘に料理を任せた母は入院中もお調子者で…

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こうして始まった交際。襟子さんのほうが2歳年上だったこと、家柄の違いなどで猛反発を受けたが、それが逆に恋に火をつけた。なかば駆け落ちする形でふたりは結婚、千鶴さんを含め、3人の子宝に恵まれることになるのだが、現実は甘くなかった。駆け落ちゆえ太い実家の力を借りられなかったことが災いし、若いふたりは次第に困窮していったのだ。

「覚えてるなかで一番古い家は、正面がお墓、後ろがドブ川という、古いアパートでした。天井裏にはたくさんネズミが住んでて、夜になるとうるさい。その足音が怖くて、聞こえないように枕を耳に押し付けながら眠っていたのを今でも覚えてます」

幼少期から家事のお手伝い

さて、ここまで1組の男女(両親)の出会いとその後について綴ってきたが、本連載のテーマは『食い物の恨み』。話を戻そう。

「子供を3人産んでも、母はずっと遊び好きのままでした。妹とは7歳年齢が離れてるんですけど、まだ幼かった妹をベビーカーに乗せて、キタやミナミに繰り出してたのをよく覚えてます。

そんな派手好きな性格やから、母はあんまり家事が好きじゃなくて、料理も好きではなかったんですね。でも、下手かというとそんなこともなくて、むしろ上手。ただ、子供に振る舞うより、友人に振る舞うほうが好きなタイプで(笑)。友達が来ると張り切ってたくさん作るんですけど、帰ったあとは片付けもせずにそのまま寝てましたね。お調子者で、見栄っ張りな人でした」

他人をもてなすのは好きだが、普段のごはん作りは億劫に感じる……時々いるタイプだが、おそらく普段の食事作りのモチベはそこまで高くなかったのだろう。一方の幸雄さんも、千鶴さんによると「家のことは一切しない人」だったそう。

「親がそんな感じやったんで、小学校中学年になる頃には自然と、皿洗いとか、買い出しの手伝いをするようになりました。学校から帰ると、母が待っていて『さ、行くで』って買い物に連れていかれるんです」

普段のごはん作りには意欲的ではなかった襟子さんだったが、その一方で、遊び好きなことも影響してか、美味しいものを食べることには、人並み以上にこだわりがあったという。

「お父さんは元ボンボンやし、お母さんは派手好きでしょ? やから、ふたりして美味しいものが大好きで、貧乏でお金なんかないのに、子供の頃からいろんなお店に連れていかれてたんです。『小さいうちからいいもん食べとかんと、舌が安くなる』とか言って。『ネズミと一緒に住んでるのに、この人は何を言うてるんやろ?』って子供ながらに思ってましたよ」

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