……と、ここまで書けば、察しのいい方は薄々わかるかもしれませんね。
そうなのよ。この時点で、別にモノなど差し上げずとも、その相手とはかなり「親しい」関係になっていると言っていいのである。そうなのだ。私のことを言えば、収納ゼロの小さな家に引っ越して「あふれるモノを差し上げる相手を探しまくる」生活に追い込まれてから突然、周囲に「親しい」人がわらわらと増え始めた。
で、それがめちゃくちゃ「いい感じ」なんである。一言で言って……そう、シアワセなんである。
っていうか、シアワセってこういうことなんじゃないかと改めてびっくりしているのだ。
シアワセとはお金や地位によって手に入れるものだと思っていたけれど、実は、ただ気を使ったり使われたりする相手が身近に沢山いることがシアワセってものだったりして……?
だって考えてみたら、お金も地位も永遠じゃない。人生絶好調の時はそれなりに手に入ったものも、いつかは必ず失われる。年をとればそのようなことが身にしみない日はない。
つまりは、そのような金だの地位だのに幸せを頼っていては、人生は結局のところ不安に満ちたものになる。しかし、このようにして手に入れた「気を使ったり使われたりする相手」は、私がこの先どうなろうが、つまりは本が売れなくなろうが、今の仕事先から一切お声がかからなくなろうが、まったく関係なくお付き合いをしてくれるに違いないのである。
そんな相手が沢山いたならば、人生は永遠に安泰である。不安とは無縁である。「幸せとは不安がないこと」と言ったのはニーチェだったか誰だったか……いずれにせよ今の私は「まったくその通りだ!」と思うのである。
愛を送れば愛が返ってくる
で、そんな相手を作るのは全然難しくないことなのだ。そう「相手をよく見る」。ただそれだけ。これは別に不思議なことでもなんでもなくて、相手をよく見るってことは、相手に関心を持つってことで、関心を持つってことは、すなわち愛なんだよね。
愛の反対は「無関心」っていうのはよく言われることだけど、それって言い換えれば、関心=愛ってことなのだ。愛は必ず伝わるのである。
だからね、何が言いたいかというと、人に何かをあげようとして、相手をよく見ることができたなら、それだけで知り合いがいっぱいできるわけで、その時点ですでにあなたの幸せ度はかなりアップしてしまうのだ。
つまりは誰かに何かを「あげよう」と思うだけで人生は好転し、実際に「あげる」ってトコまでこぎつけることができたらさらに「知り合い」度はアップし、人生はますます好転するのであります。
ちなみにですね、私は今や、この「相手をよく見る」ってことがすっかり習慣化し、どこへ行ってもそこはかとない知り合いができるようになった。
先日北九州へ出張した時も、1週間の滞在中、ホテルの近くの工事現場で交通整理をしていた陽気なおっちゃんと、客室掃除の親切なおばちゃんが、見かけたら大きく手を振ってくれるようになった。相手に関心を持てば、相手も自分に関心を持ってくれるのだ。すなわち愛を送れば愛が返ってくるのであります。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら