大久保の粘り強い説得は、岩倉のみならず、多くの朝廷有力者におよんだ。以前、京で工作に失敗した経験も生かされたに違いない。人間関係を重視して、のしあがった大久保の面目躍如といったところだろう。
公武合体を実現したばかりの幕府か、それとも有力諸藩の薩摩藩か。朝廷内も揺れ動くなかで、大久保らの奔走が実り、幕府に対する勅命が定まる。立案の中心は岩倉だ。それは次のようなものであった。
岩倉の実力を肌で感じた大久保
第三策が薩摩藩の要求である。亡き斉彬の遺志といってもよいだろう。岩倉は新たに第一策と第二策を幕府への提案に加えた。そこには、岩倉の明確な意図がうかがえる。
第一策で「攘夷」について入れ込んだのは、長州藩の主張を取り入れた格好だが、開国派の薩摩藩への牽制でもあった。また第二策では「五大藩を五大老に任命」として、薩摩だけではなく、長州藩、土佐藩、仙台藩、加賀藩にも発言権を与えようとした。
そう、岩倉は薩摩だけが力を持ちすぎないように、わざわざこの二策を加えたのである。朝廷関係者との折衝にもまれながら、交渉テクニックを磨いた大久保。成長した大久保だからこそ、第一策と第二策に込められた深謀遠慮が理解できたはずだ。「この男は相当、手ごわい」と、岩倉の実力を肌で感じたに違いない。
大久保と岩倉――。どちらが欠けても、倒幕は果たせなかっただろう。
出会いこそ冷たくよそよそしい2人だったが、その距離が縮まったとき、一気に変革の嵐が吹き荒れることになるのだった。
(第9回につづく)
【参考文献】
大久保利通著『大久保利通文書』(マツノ書店)
勝田孫彌『大久保利通伝』(マツノ書店)
松本彦三郎『郷中教育の研究』(尚古集成館)
佐々木克監修『大久保利通』(講談社学術文庫)
佐々木克『大久保利通―明治維新と志の政治家 (日本史リブレット)』(山川出版社)
毛利敏彦『大久保利通―維新前夜の群像』(中央公論新社)
河合敦『大久保利通 西郷どんを屠った男』(徳間書店)
家近良樹『西郷隆盛 人を相手にせず、天を相手にせよ』 (ミネルヴァ書房)
渋沢栄一、守屋淳『現代語訳論語と算盤』(ちくま新書)
鹿児島県歴史資料センター黎明館 編『鹿児島県史料 玉里島津家史料』(鹿児島県)
安藤優一郎『島津久光の明治維新 西郷隆盛の“敵"であり続けた男の真実』(イースト・プレス)
多田好問編『岩倉公実記』(岩倉公旧蹟保存会)
宮内省先帝御事蹟取調掛編『孝明天皇紀』(平安神宮)
大久保利謙『岩倉具視』(中公新書)
佐々木克『岩倉具視 (幕末維新の個性)』(吉川弘文館)
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