資本主義の限界は伸び縮みする
斎藤哲也(以下、斎藤):近年、斎藤幸平さんの『人新世の「資本論」』(集英社新書)をはじめ、ポスト資本主義を展望する本や議論が存在感を高めています。今回、山下さんが訳された、ジェイソン・W・ムーアの『生命の網のなかの資本主義』も、大きくいえばそういったカテゴリーに入ると思いますが、類書とは異なる本書の議論の特徴はどんなところにあるのでしょうか。
山下範久(以下、山下):たしかに昨今は、資本主義の限界ということが盛んに論じられるようになりました。気候変動や格差拡大を見れば、資本主義はもう終わりに近い。だから、新しいシステムに変わらなきゃいけないんだという主張が耳目を集めていますね。
一方、今年邦訳された『資本主義だけ残った』(みすず書房)の著者、ブランコ・ミラノヴィッチのように、かたちはどうあれ資本主義しか残っていないという議論も、現状をふまえれば説得力があるように感じられます。
その点からいうと、『生命の網のなかの資本主義』はどちらとも取れる本だと思います。ただ、訳者としては「よりよい資本主義」を考える方向で読んだほうがおもしろいと言いたい。少なくとも、単純な資本主義終焉論としては紹介したくないという思いはあります。
じつは著者のムーア自身は、マルクス主義の系譜で、資本主義は敵だと考えて活動している人です。だから本人の前で「この本、資本主義を否定してないよね」って言うと、怒るんですけど(笑)。
では、どうしてこの本は両方の側面で読めるのか。まず、非常によく流布しているタイプの資本主義終焉論として、資本主義の外側に、ハードで固定された限界があるという前提に立つものがあります。資本主義は外部を収奪・搾取していくけれど、外部は有限なので、まもなくその限界にぶちあたる。ぶちあたったらクラッシュして、人類規模、地球規模の災厄に見舞われる。それはもうわかりきっているのだから、いますぐにでも資本主義をやめなければいけないというわけです。
本書はこうした考え方をはっきり否定しています。資本主義に限界があることは認めますが、その限界のあらわれ方は、資本主義のあり方によって変わる。これが本書の最大の論点です。そして、本書の議論を敷衍すれば、資本主義のありようによって、限界はずっと先に伸びる可能性もある。私としては、こちらの方向で読まれてほしい本なのです。
斎藤:地球環境や資源の問題などを考えると、世界は有限であるという説明は正しいように思います。資本主義のあり方によって、限界のあらわれ方が変わるというのは、どういうことでしょうか。
山下:ここが肝になるポイントですが、ムーアは資本主義社会の外側に有限な自然がかっちりとあるとは考えないんですね。そうではなく、その自然も資本主義によってたえずつくられていると捉える。というのも、社会と自然は截然と分けられるものではなく、両者は相互に影響を与え合っているからです。社会/自然の二元論的な見方が、資本主義の限界を見誤らせてしまうのです。