斎藤:たとえばGAFAのようなグローバルなIT企業が、人々のデータを収集するのも「安価な自然」の収奪と考えることができるでしょうか。
山下:そう思います。20世紀の初めに、石油メジャーが見かけ上は対等な契約の下に産油国の石油を安い値段でどんどん買い上げていたのと同じロジックで、私たちは、読みきれないような説明の契約をGAFAと交わして、サービスの対価としてせっせとデータを吸い上げられているんです。
20世紀の産業の血液が石油だとすると、21世紀の産業の血液は情報です。GAFAのような巨大プラットフォーマーは、その情報という「天然資源」を採掘するために、見かけ上は対等な契約を用いて、対価を払わずそれを採掘している。言ってみれば、ソーシャル・ネットワーキング・サービスとか、様々なウェブ上のサービスは、21世紀における鉱山のようなものでしょう。
そういう意味で、データの収集は産出元である人間に対する収奪だと言えると思います。せっせとツイートしたり、インスタグラムに写真を投稿したりするのは、まさにアンペイドワークですからね。
AIやロボットからも搾取する資本主義への警鐘
斎藤:人間と人間以外の存在を一元的に捉えるムーアの視点に立つと、ロボットや人工知能のような存在はどのように考えられるでしょうか。
山下:その質問をムーアに振ってみたんです。本のなかで言われている「ノンヒューマン・ネイチャー」にAIやロボットのような人工物は入るのか、と。そうしたら「考えたことないなあ」と言われてしまいました(笑)。地理学者のムーアは、やっぱりまずエコロジーが大事なんですね。
ただ私自身は、この本からノンヒューマンの延長上にロボットやAIを含めて考えることはできると思います。だとすると、ロボットやAIも収奪するような資本主義ではいかんという話になるはずです。
未来社会を論じる議論には、やりたくない労働は全部AIやロボットにやらせればいいという主張をしばしば目にします。テクノロジーをどんどん発展させれば、人間は労働から解放されると説く左派の加速主義などが典型です。
しかし、それは短期的にはうまくいくように見えても、結局、収奪的な資本主義を延命させるわけですから、全然違う形でしっぺ返しをくらう可能性があります。それこそ自然からの収奪がバックラッシュを生んだということが、「人新世」という概念のいちばん大きなインパクトだったわけです。
そう考えた場合、左派加速主義の処方箋は、持続可能性を著しく欠いた解決策でしかない可能性が高いということは言えるだろうと思います。(後編に続く)
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