世界システム論とラトゥールとの接続
斎藤哲也(以下、斎藤):『生命の網のなかの資本主義』の「訳者あとがき」では、2018年に原書を読んだときに、小さくない衝撃を受けたと書かれています。「世界システム論」の研究者である山下さんは、どういったところに衝撃を受けたのでしょうか。
山下範久(以下、山下):世界システム論では、資本主義を、つねに外部を内部化していく1つの動的なシステムとして捉えます。だから、どこかの時点で外部がなくなる、つまり限界が来るだろうということまでは誰でも思いつく話です。
実際、世界システム論の創始者であるウォーラーステインは、1970年代に、1968年革命で資本主義は事実上終わっていて、そこから後は断末魔だと主張していました。ウォーラーステインの理論構成からすれば、当然そうなる。私自身は、ウォーラーステインから強い影響を受けていますが、この資本主義終焉論の議論には腑に落ちないところがぬぐえませんでした。だから、すごい鬱屈感があったわけです。
でも、自分のモヤモヤを表現する出口がなかなか見つからない。だったら世界システム論をさっさと諦めればよかったんですが、それも難しかった。一方で私は、ラトゥールの議論に関心を持っていました。じつは、ラトゥールを読み始めたのも、ウォーラーステインの授業がきっかけでした。
ラトゥールのアクターネットワーク論も、社会と自然の二元論を批判して、一元論的な世界観にもとづいています。だから、ラトゥールと世界システム論をつなげれば、違う出口のある議論ができるはずだという直観みたいなものはあったんです。
ただ、それをどうつなげていいかわからない。ところがムーアの『生命の網のなかの資本主義』は、それを見事につないでいる。正直に言うと、以前の私はエコロジーに対する関心が低くて、本を買ってからしばらくは積読状態でした。でもしばらくして読んでみると、自分がぼんやりと考えていたことを首尾一貫した枠組みで展開している。「やられた!」と思いましたね。