本当に必要な「怒り」知る人と知らない人の決定差

解決するのは感情的「私憤」ではなく知性的「公憤」

その怒りはどこから来ているものか?(写真:ふじよ/PIXTA)
「ついカッとして怒った」。
きつく怒鳴られた後に、こう言われたことはありませんか? さらに「叱ることと怒ることは違う」と、怒鳴ったことを正当化しようとする人もいますが、実際にはどちらも自分が感情を抑えきれなかったことを認めたくないだけなのです。
怒りには即効性があるように見えますが、根本的な問題解決にはなっていません。怒る人は、自分には相手に論理的な説明をする力がないという劣等感を抱えており、怒ることで相手との距離をさらに遠くしてしまう。
本当に必要で、意味のある「怒り」とはどのようなものか。大ベストセラー『嫌われる勇気』の著者、岸見一郎氏による新刊『怒る勇気』より一部抜粋・再構成してお届けします。

怒りの区別

何かが起こった時に、それが理不尽であれば黙っていてはいけない。しかし、黙っていないで何とかしなければならないと感じる時、私憤によっては問題を解決することはできない。

何とかしなければならないと思った時に起こる感情、問題解決に必要な感情は、「私憤」ではなく、「公憤」である。私的で衝動的、感情的な憤りは無益だが、社会正義に照らし、間違っていることは間違っていると主張することは必要であり、そうしなければならないと思う人が抱く感情は「公憤」である。

私憤は対人関係においてまったく必要がないものである。「私憤」がどのようなものであり、その感情をどうすればいいのかを最初に考えてみよう。

小学生の頃教室ですわっていたら、いきなり同級生に殴られかけたことがあった。一体その時に何があったかは今となっては覚えていない。殴られたのではなかったかもしれないが、私は怒りを感じ腕を振り回してやり過ごそうとした。しかし、私の腕は相手の顔には触れることなく未遂に終わった。これは私が誰かに暴力を振るおうとした最初で最後のことだった。未遂に終わったとはいえ、この後私はひどく自分が恥ずかしいと思った。

とはいえ、何の理由もないのに殴られかけたということは、その時には言葉を思いつかなかったが、私の尊厳を傷つけられたと思ったのだろう。このようなことに対して黙っていてはいけないと今も思う。ただし、殴られたからといって殴り返すという方法が適切かどうかは考えなければならない。何もなかったことにして、怒りを感じる必要はないと納得するというのでは、問題の根本解決にはならない。そんなことをカウンセリングで助言しても、「私さえ我慢したらいいのですね」と引き下がった人は、また別のことで問題にぶつかった時も我慢するしかない。

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