岸田総理が「改革」という言葉を使わなかった訳 世間は明らかに「新自由主義」に疲れきっている

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それでは、私のイントロはこれくらいにして、みなさんが岸田政権をどう捉えているかをうかがっていきたいと思います。

「改革」という言葉を使わなかった岸田政権

:私も岸田総理が「改革」という言葉を使わなかったことに注目しています。本来、改革とは自分たちの生活、あるいは自分の世代でなくとも子や孫の世代の生活を良くするために行うものですよね。しかし、日本では長らく改革が行われてきましたが、いつまでたっても普通の人々の暮らしは良くなりません。

施 光恒(せ てるひさ)/政治学者、九州大学大学院比較社会文化研究院教授。1971年福岡県生まれ。英国シェフィールド大学大学院政治学研究科哲学修士(M.Phil)課程修了。慶應義塾大学大学院法学研究科後期博士課程修了。博士(法学)。著書に『リベラリズムの再生』(慶應義塾大学出版会)、『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』 (集英社新書)、『本当に日本人は流されやすいのか』(角川新書)など(写真:施 光恒)

それでも小泉改革のころまでは、まだ将来のために改革するといったニュアンスがあったと思います。しかし、最近ではもはや何のために改革を行うのかも不明瞭になっています。「とにかく改革に耐えられれば自分を変えられる」といった「修行」のようなものに変質してしまっています。

その一例が、東京都がクローバル人材を育成するとして立ち上げた「次世代リーダー育成道場」です。「道場」という言葉に端的にあらわれているように、改革はいわば自らをマゾヒスティックに追い込むものと見なされているのです。

これでは多くの人たちが改革に嫌気が差すのも無理はありません。その結果、改革路線からの転換を望む声が増えていき、そうした声を受けて、政治家たちも改革という言葉を使わなくなったということだと思います。

実際、岸田総理だけでなく、自民党総裁選に出馬した高市早苗氏も、「改革から投資へ」というスローガンを掲げ、「改革」という言葉を悪い意味で使っていました。

以前、中野さんは「平成という時代とともに改革を葬ろう」とおっしゃっていましたよね。令和になってから3年たちますが、それが実現しつつあるのではないか。まさに御一新があったという感じがします。 

この動きについていけていないのがマスコミです。特に日経新聞は非常に戸惑っています。彼らはひたすら構造改革を賛美する報道を垂れ流し、ここ四半世紀近く、それ以外の報道をしたことがありませんから、岸田政権にうまく対応できていません。相変わらず「構造改革を後退させるのか」といった批判ばかりです。岸田政権をどういう価値基準に基づいて論評すればいいのかわからないのでしょう。

もっとも、私は岸田政権に大いに期待する一方で、本当に新自由主義路線を転換できるのか疑いも持っています。

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