「あげる」という人生初のビッグな娯楽に目覚める 相手も私もモノも「八方よし」の幸せな関係

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会社を辞めて無給生活になることが決定してからは、知恵と工夫で「買わずにすませる」ことばかり考えていた。だって「もらう」って……人様のオメグミで生きるってこと? いやいやさすがにそれはないでしょ。そんなふうに人にたかっていたら気づけば友達が一人もいなくなりそうである。

それに、そもそもわれらドライな都会人は、そのようなことは可能なかぎり避けて生きてきたのだ。「もらう」って誰かに借りを作ること。うっかりそんなことしちゃった日には、品物以上にモヤモヤした人間関係がもれなくべったり付いてきそうである。考えただけで面倒くさい。

というわけで、全否定。

というか真剣に検討したこともなし。

「喜んでもらってくれる人」の存在

それがですね、思わぬところで、ん? これは案外、というか全然そういうことなんじゃないのでは……と思い始めたのである。

それは、会社を辞めて家賃圧縮のため収納ゼロの家に引っ越さざるをえないことが決定し、なんとかして大量の洋服だの食器だの本だのをことごとく処分する必要に迫られた時のことであった。

人生初の緊急事態を前に、私はグズグズした。ずっと愛してきたものたちを捨てるのはどうしたって忍びないのである。引っ越しの日は刻々と迫るのになんだかんだと足踏みしていたところへ、「あ、そうだ!」と思いついたのが、よく行っていた近所のパン屋さんに置いてあったフリーボックスの存在であった。

フリーボックス。ご存じですかね? 誰もが自由に不用品を入れておき、誰もが自由に持って帰れるという、まあ要するにマジックで「フリーボックス」と書かれただけの、ただのダンボール箱である。

それでも、同じ箱でもゴミ箱に入れるよりはずいぶんと気持ちが楽なのであった。ということで、毎日せっせとブランド物の服やら靴やら食器やら鍋やらレシピ本やらを両手いっぱいの紙袋に入れ、せっせせっせとパン屋さんに通ったのである。

最初は、それこそゴミ箱にでも入れるような感覚で持っていった。でもそのうち、店のスタッフの女の子たちが、私が持ち込んだものを「私、もらいました!」と報告してくれるようになった。わざわざ着て見せに来てくれる子もいた。

これが、意外なほどのうれしさであった。

それも、これまで経験したことのないタイプのうれしさなのである。

次ページ「私の愛したモノ」などと言いながら
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