「君主の敵と、親の命を狙う敵がいた場合に、どちらの敵から切り込むべきか」
こういった「究極の選択」もあれば「義とは何か」という、根源的な問いもなされた。普段から多角的な視点で物事をとらえる習慣がなければ、即答することは難しいだろう。
詮議は、薩摩藩では歴代藩主の帝王学にも採用されており、島津家23代当主の島津宗信は幼少時代に教育係から、こんな詮議を受けている。
「あなたは親の敵を探して方々を尋ね回っている。そんなとき、海上で台風に遭って立ち往生していると、船を出して助けてくれた人がいた。ところがその命の恩人こそ、探し求めた親の敵だった。さてあなたは、どうしますか」
宗信は、助けられたことにお礼を言ったうえで「親の敵ゆえ是非もない。覚悟せよ」と断って討ち果す、と答えたという。この質問に正解はなく、とっさにどんな思考プロセスを経たのか、また、それをどう説明できるかが重要となる。
大久保もこの詮議で鍛えられて「政治家としての大久保利通」の素地を形作っていく。大久保は「組織をいかに運営するべきか」というリーダーシップの方法についても、郷中でもまれながら、身につけていったのではないだろうか。
17歳で公文書の作成を補助する役人に
勤勉さを評価されたのか、大久保は17歳のときに、藩の文書を取り扱う記録所で「記録所書役助(きろくじょかきやくたすけ)」の職を得る。公文書の作成を補佐する役人といったところだ。
一方の西郷も17歳のときに「郡方書役助(こおりかたかきやくたすけ)」という年貢を割り当てる仕事に就いている。西郷の背中を観ているだけに、大久保も自分なりの道が見つかり、ほっとしたことだろう。
しかし、大久保が21歳のときに、薩摩藩ではお家騒動が勃発。この騒動の影響で、父の利世は島流しにされてしまう。
大久保の運命は一転し、食べることすらもままならない、貧しい生活を余儀なくされることとなる。
(第2回につづく)
【参考文献】
大久保利通著『大久保利通文書』(マツノ書店)
勝田孫弥『大久保利通伝』(マツノ書店)
松本彦三郎『郷中教育の研究』(尚古集成館)
佐々木克監修『大久保利通』(講談社学術文庫)
佐々木克『大久保利通―明治維新と志の政治家 (日本史リブレット)』(山川出版社)
毛利敏彦『大久保利通―維新前夜の群像』(中央公論新社)
河合敦『大久保利通 西郷どんを屠った男』(徳間書店)
家近良樹『西郷隆盛 人を相手にせず、天を相手にせよ』 (ミネルヴァ書房)
渋沢栄一、守屋淳『現代語訳 論語と算盤』(ちくま新書)
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