幸せを求めるほど欲望を募らせる人が陥る悪循環 「僧侶の意識=モンク思考」が悩める人を救う

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心を鍛えて平安と落ち着きを手に入れるには? (写真:Pangaea PIXTA)
僕らにも、僧侶のような意識状態が必要じゃないだろうか? たとえばきみがバスケ・コートの支配者になりたければ、マイケル・ジョーダンを見習うだろうし、イノベーションが必要なら、イーロン・マスクを研究するだろう。パフォーマーになりたければ、ビヨンセに学ぶかもしれない。じゃあ、心を鍛えて平安と落ち着きを手に入れ、人生の目的を見つけたければ、どうするか? 僧侶に聞きに行こう。その道の専門家だから。(「はじめに」より)

『モンク思考: 自分に集中する技術』(浦谷計子 訳、東洋経済新報社)の著者、ジェイ・シェティ氏は、こうメッセージを投げかける。しかし、そこに多少の違和感を覚える方がいらっしゃったとしても不思議はないだろう。

なぜなら多くの人にとって僧侶は遠い存在……とまではいわないにせよ、少なくとも近い存在ではないからだ。事実、私もそのひとりではあった。

僧侶にまるで興味がなかった若者の変心

とはいえシェティ氏も似たようなもので、当初は僧侶にまるで興味がなかったのだそうだ。僧侶よりも“現実の世界で何事かを「成し遂げた」人の話を聞きたかった”という思いは、きわめて一般的であるように思える。

ロンドン北部の街の、中流階級のインド人家庭に育った子ども時代は“僧侶的なもの”とは無縁。中学生になってからはよからぬ連中との交流も始まり、ドラッグ、けんか、飲酒など、悪いことも山ほどやったのだとか。

それでも大学に入ると「人生のゴールを追求するには、勤勉さ、自己犠牲、自制心、粘り強さが欠かせない」と気づいたそうだが、これといった目標もなかったと振り返っている。

ゴーランガ・ダス先生が大学にやってきたのは、僕の中で、新しい考え方、新しい生き方を探ってみたいという気持ちが高まっていたときだ。僕は、みんなが(そして自分自身が)思っている既定の路線から外れてみたくなっていた。人間として成長したい。謙虚さ、慈悲、共感を抽象的な概念としてではなくて、実感として味わいたい。規律とか、品性とか、高潔さといったものを単なる知識で終わらせずに実践したいと思った。(「はじめに」より)

青春期に人間的成長を志す人は多いが、そのために進むべき道はひとつではない。たとえばより高度な教育を受けて専門知識を増やすとか、ボランティアなどを通じてコミュニケーション能力を高めるとか、それぞれに心惹かれるなにかがあるわけだ。

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