幸せを求めるほど欲望を募らせる人が陥る悪循環 「僧侶の意識=モンク思考」が悩める人を救う

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シェティ氏の場合、そこで選択したのが僧侶としての道だった。そして、その結果として得たのが“僧侶の意識(モンク・マインド)”だったということだ。しかし、聞き慣れないそれはいったいどのようなものなのだろうか?

「モンク・マインド」と「モンキー・マインド」

表面的には快適に見えるかもしれないが、(実は誰もがよく知るように)現代社会は不満に満ちているものだ。多くの人が不満を抱えながら生きており、とりたてて不満がないという人でさえ、無意識のうちに「幸福」を追いかけることに相応の時間を費やしている。

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よくないのは、社会やメディアの姿勢だ。彼らは多くの場合、なにかを成し遂げた人、あるいは成功した人をクローズアップして過度に持ち上げ、私たちに対して「成功者たちのようになること」「成功者たちのように生きること」を勧めたがる。なぜなら、それらは耳目を集めやすいトピックスとして機能するからだ。

ところが名声もお金も華やかさも、現実的には私たちをあまり満足させてくれない。それどころか、幸福を追いかければ追いかけるほど欲望を募らせることになり、いらだち、幻滅、不満、不幸、消耗といった悪循環に陥っていく可能性すらある。

だからこそ、「モンク・マインド」が必要なのだとシェティ氏はいうのだ。また、そのことを論じるにあたり、「モンク・マインド」と「モンキー・マインド」との違いに着目している。

人はしばしば、ものごとを考えすぎたり、先延ばしにしたり、不安に悩まされたりするものだが、そういうときはモンキー・マインドに陥っているというのだ。つまりモンキー・マインドとは、こっちの考えからあっちの考え、この問題から別の問題へと、せわしなく飛び回るだけでなにひとつ解決しない心の状態を指すということだ。

もちろん、それではなにも解決できるはずがない。だが、そんなモンキー・マインドをモンク・マインドに育て上げることは不可能ではないそうだ。自分が求めているものの根っこの部分を掘り下げ、成長するために実行可能なステップを見つければいいというのである。

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