「グローバリズムという病」にかかった日本 シンガポールのような国が、本当に理想なの?

そもそも「人材」という言い方が、気に入らない
かつて小林秀雄は「合理的人間になど出会ったことなどない」と言ったが、わたしは「グローバル人材」などというものに出会ったことはない、と言いたい。
そもそも「人材」という言い方が気に入らない。「人財」というひともいるが、ひとは、材料でもなければ、財産でもない。世界中のどこに行こうが、そこで出会うのは自分と同じようにわけのわからない、浮世の悩みを抱えたり、呆然としていたり、黙々と仕事をしていたり、恋人と腕を組んだり、苦境を抜け出すために何かよい手はないかと考えたりしている具体的な人間であり、抽象的なグローバル人材などというものは、どこにも存在していないのである。
そんなことを言いだせば、「労働者」も「消費者」もいないじゃないかという反論がありそうだが、そんなことはない。工場に行けばたくさんの労働者が、作業着を着て、手に道具を持って、働いているし、銀座や青山をあるけばショーウィンドウを眺めている無数の消費者で出会うことができるはずである。



















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